児童書感想文

 

こんにちは、絵本専門店・えほにずむの店主です。

 

今年もはや師走。

何かとバタバタしておりますが、家族そろって大きな怪我も病気もなく、無事に年を越せそうです.

 

去年も今頃の時期に児童書の感想文を書いたのですが、この一年で息子に読んだ児童書をざっと挙げてみましょう。

 

≫たまには児童書感想文

≫児童書感想文・その2

≫最近読んでる児童書

 

息子ももう小学校4年生で、そうそう絵本を読んであげる機会もなくなりました。

ゲームで忙しいですしね。

そうは言っても本から離れてしまったわけではなく、本を読む習慣は身についているし、最近では米朝師匠の落語本などを一人で読んでいます(息子は落語好きです)。

そして毎日寝る前に30分くらい児童書を読んであげる習慣もずっと続いています。

もちろん息子は自分でも読めるのですが、そこはルーティンとして、この本を読み聞かせる時間というものは私にとっても息子にとっても大切なものとなっています。

 

今読んでいるのは吉川英治の「三国志」ですね。

前から機会を窺っていたのですが、そろそろいいかなと思って全8巻読破に向けて読み始めました。

もちろん難しい言葉はたくさん出てくるけど、いちいち説明してると流れを切ってしまうので、そこは雰囲気で流してもらってます。

私も読み方に詰まる単語も多いので勉強になりますね。

あと、三国志と言えば登場人物の多さですが、特に耳で聞いていると各人物の判別が難しいだろうなと思います。

ただでさえ耳慣れない中国名に、似た響きの名前が多いので、やはり漢字で視覚的に捉えないと誰が誰だっけとなってしまいます。

今董卓編の佳境ですが、実際息子は再登場した人物などは「誰だっけ?」となっています。

 

それでもやっぱり三国志、一度読み始めると面白くてやめられない。

吉川三国志は名文ですしね。

成長のどこかで必ずハマるでしょうし、これを機に歴史に興味を持ってくれたら嬉しい。

 

ミヒャエル・エンデの「モモ」。

これは別に今年初めて読んだわけではなく、覚えてないけど去年にはすでに読んでいた気がします。

でも息子は非常にこの話を気に入ってくれて、すでに3回は繰り返して読みました。

 

児童向けでありつつ、わりと心理的にキツい描写もあり、非常に作者の思想的な部分も盛り込まれており、大人でも理解がすぐには追いつかないような難解さもあります。

特にマイスター・ホラの家でモモが見た「時間の花」の箇所ですかね。

 

ただ教訓臭さはなく、エンターテインメントとしてぐいぐい読ませる力に満ちています。

灰色の男たちの不気味さ、生気を奪われていく人々の哀れさ、その中にあって未来を知る亀のカシオペイアの愛らしさが救いとなっていますね。

昔映画版も見た覚えがありますが、とにかくモモ役の女の子がめちゃくちゃ可愛かった記憶。

 

同じくミヒャエル・エンデの「ジム・ボタンの機関車大旅行」。

これはかなり前に買ったけど読ませてくれなったのですが、やっと読了、そして続編の「ジム・ボタンと13人の海賊」も続けて読みました。

めちゃくちゃ面白い。

 

登場人物や国の設定がいちいちエキセントリックで想像力を刺激してくれます。

意志を持つ機関車エマは改造されて海も渡れば空まで飛んでしまう。

住人数名の小国、中華風の大国、竜の国、砂漠の巨人、海の人魚。

 

そしてやはりどこかにミヒャエル・エンデ流の神秘的思想が感じられます。

個人的には読み物としてはモモよりもこっちの方が面白いのですが、知名度的には今一つなんでしょうか。

かなりおすすめです。

そういえばアニメにもなってましたね。小さい頃見た記憶がありますけど、内容はまるで違ってたようです。

 

エーリッヒ・ケストナーの「飛ぶ教室」。

寄宿舎暮らしの多感な少年5人組の友情と成長の物語。

大人の目線で読むと、この時期の子どもたちの周囲に、見上げるように尊敬できる大人がいることの重要性を痛感します。

また、ケストナーの洒脱な文章は読むだけでも精神が賦活される気がします。

 

息子は5人組の中で最も臆病でそれを気に病んでいる「ウーリ」というキャラクターに自分を投影していました。

そうやって自己投影ができるようになったというのは息子にとっては大きな進歩だと思っています。

 

同じくケストナーの「エーミールと探偵たち」。

ケストナーは不良少年を書くのが上手いですね。

旅先で母親に託された大切なお金を盗まれ、それを取り戻すために奔走する主人公と、自然と協力関係になっていく街の子どもたち。

タイトルからミステリーものかと思いましたが、内容は明るい友情と、みんなで何かを成し遂げる精神の昂揚を描いた上質のジュブナイルです。

 

今江祥智の「星をかぞえよう」。

これはもう古書の類でして、ご存じない方の方が多そうですけど、私が小学校の頃に図書室で読んで、なんだかすごく印象に残っていたので探し出してきて読みました。

挿絵は長新太さん。

 

時代設定も古く、田舎で育った主人公の女の子が東京に転校し、そこで男顔負けの活躍をするという…まあ、今読むと男女観の古さが際立ちますが、当時は少女が活躍する作品がどんどん発表されていた頃なんじゃないでしょうか。

今では当たり前ですけどね。

 

ただ、主人公が立ち向かう相手がバリバリの極道なのが児童書としては異色なんですよね。

主人公は女子中学生ですよ?

それを傷めつけようとする先輩柔道部と、それに手を貸す極道一家。

逆に現代だと出版できないかも。

 

私は上記のケストナー作品を読んだ後、何故か突然この作品を思い出して読みたくなったのですが、今江さんの別作品のあとがきに、児童小説を書き始めた時、どう書けばいいか悩んでいたら福音館の松居さんが「ケストナーの書き方をものにしなさい」というアドバイスをくれたというエピソードがあって驚きました。

やっぱりどこかで通じるものを感じたんでしょうね。

 

他にも色々と読んだのですが、切りがないのでまた次の機会に紹介しましょう。

 

何度も書いたことですが、読書には旬があります。

小学校4年生なら4年生の時期に読んでおくべき本というものがあります。

 

大人になってから読んでも面白いのは間違いないとしても、その時期の精神にしか響かない本というものもあり、長い時間をかけて熟成すべき内容の本もあるのです。

この先、息子が小学校高学年〜中学生になれば、読むべき本のリストは一気に膨れ上がります。

とても私が読み聞かせていては間に合わないくらいの量になるはずです。

 

今は習慣として私が本を選び、読んでいますが(後で一人で読み返したりはもちろんしていますが)、いつ息子が自分で本を選び、次々と読む時期がくるのかを注意深く、そして心から楽しみに見守っています。

 

 

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最近読んでる児童書

 

こんにちは、絵本専門店・えほにずむの店主です。

 

今回は久しぶりに息子の読書事情について書きます。

変化が苦手な息子は、一度習慣化したことは守ろうとします。

勉強や歯磨きなどを習慣化するのには非常に苦労しますが、やっと最近は決まった量の漢字と計算の練習や、食事後の片づけ、歯磨きなどを、嫌そうな素振りを見せつつも素直にやるようになりました。

 

自分が好きでやっていることでは一日2時間のPC(マインクラフト)や漫画を描くことがありますが、こちらは何かの都合でやれないなどということになると大変です。

時間が遅くなったので2時間のうちの30分を明日に回す、というような融通は利きません。

漫画にしてもある種の使命感を持って描いているようなところがあります(連載作家か)。

 

さて、そんなルーティンのひとつに、「寝る前の読み聞かせ」があります。

やっと(本当にやっと)決まった時間に布団で横になることを(あまり)逆らわなくなった息子ですが、その際には必ず私が何か読むことになっています。

絵本を少し読むこともありますが、もっぱら長い児童書を何日かに分けて読むことがメインです。

これまで読んできた児童書については過去記事で触れています。

 

≫たまには児童書感想文

≫児童書感想文・その2

 

読むのは私も好きですし、できれば自分が子どもの頃に読んだ懐かしい本などを読んでやる方が楽しめます。

息子ももう3年生ですし、以前からそろそろ「ズッコケ三人組」シリーズを読みたいと思っていたのですが、例によって息子の食わず嫌いが発動して、読ませてもらえなかったんですね。

 

それがちょっとしたタイミングでシリーズ第一作の「それいけズッコケ三人組」を寝る前に読ませてもらえました。

息子は「ちょっとだけ」「気に入らなかったらすぐやめて」などと生意気な注文をつけてましたけど、いざ読み始めるとやめさせてもらえなくなってほとんど一冊全部通して読まされました。

那須先生は偉大です。

 

やっぱりおもしろいですね。

子どもの頃は気づかなかったような発見も色々あります。

 

子どもの本を書く上での必須条件ですが、那須先生は子どもを大人目線で都合よく書くことを自制しています。

そして逆に(ここが凄いと思うのですが)大人を子ども目線で都合よく書くこともしないのです。

ズッコケシリーズに登場する大人たちはみんなどこか哀愁を漂わせています。

無人島で一人で暮らす老人、お喋りな独居老人の探偵ばあさん、売れない児童作家、人知れぬどこかの山奥で一族の長としての責務を果たす女性、離婚したモーちゃんの両親……。

人生の辛さ、悲しみ、思い通りにいかないもどかしさ、孤独……そうしたものを纏いながら、物語そのものは子ども目線で描かれるために、その本当の深みにまで降りていくことはありません。

ただ、「大人の孤独」についての印象だけが三人組の目を通して読者にも共有されます。

 

私自身はシリーズの途中辺りで成長と共に読むのをやめてしまったのですが、全50冊完結しているので、是非息子と共に読破したいと思っています。

 

もう一つの最近お気に入りシリーズはフィンランドの名作「ムーミン」。

こちらは実を言うと私も未履修作品だったんですよね。

 

もちろんキャラクターとしてのムーミントロールやスナフキンは知っていましたが、ちゃんと原作童話を読んだことがなかったので、今更ながら「こんなお話だったんだ!」と新鮮な気持ちで読み進めています。

結構前に第一巻の「ムーミン谷の彗星」を途中まで読んだところで息子が一度「もういい」と投げてしまったのですが、どういうわけか最近になってからまた読むようになって、今度は大いに気に入ったらしいので全巻揃えました。

 

色々な癖のあるキャラクターが登場しますが、息子は小さい生き物の「スニフ」を「ぼくに似てる」と言います。

特に臆病で、不安症で、すぐに誰かのせいにしたがる思考などを自分と重ね合わせているようです。

結構自分のことを客観的に見ているんだなあと思いました。

 

こういう人間の弱さを象徴したようなキャラクターを否定的な眼差しで描かない懐の広さは、息子のような子どもにとっては救いでもあると思います。

 

凡庸な大人は、自分のことは棚に上げて、スニフのような情けないキャラクターを「こうなってはいけない」見本のように示しがちです。

けれども子どもたちはスニフを見て、「こんなふうに人のせいにしてしまったり、欲張りなところがあるのは自分だけじゃないんだ」と安心するのです。

そうやって同時に自分自身を客観視するところから成長は始まるのだと思います。

 

子どもを良い方向に導くというのは本当に難しいことです。

大人自身が未熟なのだから当然ですが、まずは子どもを無条件に承認するということを絶対に忘れてはいけないのです。

 

私はそうした点に気を付けて息子に接してきたつもりでしたが、息子自身の性質もあるでしょうけど、やっぱり足りなかったのかもしれません。

息子は何か失敗するとすぐに「ぼくなんていないほうがいい」というような言葉を口にします。

そんなことを言ってはいけない、失敗は誰でもする、今後どうするかが問題なんだ、君の価値と叱られる内容には何の関係もない……様々な理を尽くした言葉でフォローしようとしますが、それさえも「ぼくを無理に変えようとしてる」と言われてしまうことがあります。

 

もちろんそのままでいいと言うことはできますけど、そんな悲しい思考までそのままでいいとはやはり思えません。

焦らないことだと思いつつ、自分の内心に至るまで、息子への接し方にまだまだ足りないところが多いのだろうと自省もします。

 

同じことを伝えるとしても、単なる言葉の内容だけではなく、タイミングや、誰の口から語られるか、どんな声色で聴かせるか、そうした要素が子どもの心に撒く種には重要なのでしょう。

 

そういう意味において、物語の力というものはやっぱり偉大なのです。

 

 

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何歳になっても絵本を読んであげることの意味

 

こんにちは、絵本専門店・えほにずむの店主です。

 

GWいかがお過ごしでしょうか。

緊急事態宣言は出ていないとはいえ、まだまだ伸び伸びと行楽に行ける世情ではないですが、少しずつ日常が取り戻せればと思います。

さて、今回は久しぶりに息子の読書事情について綴ります。

過去記事を読んでいない方のために説明しておくと、我が家では息子が生後間もない頃からずっと、多くの絵本の読み聞かせをしてきました。

読み聞かせについての私の基本的な考え方は下の記事に綴っています。

 

≫「絵本・ことば・精神」

 

なるべく多くのジャンルを、息子の反応を見ながら、リクエストには無条件に応える形で、何度繰り返しても、何冊でも読んできました。

当時は気づきませんでしたが息子にはADHDやASDといった特徴があり、本に対する「食わず嫌い」も見られたものの、読書量は同年代の子どもに比べてかなり多くなりました。

 

1歳で自然に字を覚え、一人で読むことも普通になりました。

その後も読み聞かせは続けつつ、図鑑や科学書、児童書なども追加していきました。

 

しかしながら小学校入学あたりから絵本を読んでもらいたがることは大幅に減りました。

たまに一人で読んでいることはありますが、寝る前に習慣的に読むのは字の多い児童書で、絵本は読みません。

絵本だとどうしても絵を見るので寝ないということもありますね(息子は目を閉じて寝に入るのが苦手です)。

 

ちなみに児童書も頭から読ませてくれないことはざらにあります。

また、冒頭をちょろっと読んだ後、昼の間に自分で全部読んでしまって「もういい」と言われた本も多いです。

ムーミン谷の彗星」も「ホビットの冒険」も「ジム・ボタンの機関車大旅行」も「怪人二十面相」シリーズのうちの何冊かもそのパターンでした。

今は「ソフィーの世界」を半分まで読みました。これは内容が難しいせいか最後まで読ませてくれそうですね。

 

そんな感じで絵本からは遠ざかっていたのですが、先日実に久しぶりに絵本を読んであげる機会がありました。

いつものように布団に入る前に、何の気なしに「絵本読んであげようか?」と聞いてみると素直に「うん」と言って座ったのです。

 

もう遅い時間だったのでそれほど冊数は読めませんでしたが、「モチモチの木」「いたずらきかんしゃちゅうちゅう」「ゼラルダと人喰い鬼」「ガンピーさんのふなあそび」などを、ちゃんと最後まで本の前に座って聞いていました。

 

≫絵本の紹介「モチモチの木」

≫絵本の紹介「いたずらきかんしゃちゅうちゅう」

≫絵本の紹介「ゼラルダと人喰い鬼」

≫絵本の紹介「ガンピーさんのふなあそび」

 

以前は絵を怖がって読まなかった「モチモチの木」も嫌がらずに聞いていたし、「ガンピーさん」は幼い頃以上に楽しんで大笑いしながら聞いていたし、私も久々に絵本を読んであげる喜びに浸れました。

 

実を言うと私自身、「もう絵本は読むこともないのかな…」と半分諦めて「読んであげようか?」と聞くことすらしなくなっていたのです。

でもそれは息子が様々な他の遊び(レゴとか工作とか漫画とか)に忙しいことが多いだけで、今回のようにタイミングさえ合えばいつでも絵本の世界の扉は開かれているのだということを再確認できました。

 

「幼い頃に読書の喜びを知った魂は、たとえ成長過程で他の遊びに心が移っても、機会さえあればいつでも何度でも本に戻ってくるものだ」と何かで読んだことを思い出します。

現に私は子どもを持ってからこんなにも多くの絵本を読むようになりましたし、子どもの頃読んだ絵本や児童書を再読することの喜びや、自分が成長したことによる新たな発見などを楽しむことができています。

息子には感謝しています。

 

「読んであげる誰か」「読んでくれる誰か」が揃った時、絵本の真の力が発揮されるというのは本当なのです。

そしてそこに年齢はまったく関係ありません。

 

この連休、皆様も一冊でも子どもと絵本を読んでみることをおすすめします。

きっと幸せな気持ちになれますから。

 

 

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児童書感想文・その2

 

こんにちは、絵本専門店・えほにずむの店主です。

 

まだまだ暑いですが8月も終わりますね。

今年はコロナ一色、3月ごろにはまだ楽観的な意見もよく見かけたんですが、結局いまだに感染収束の気配はありません。

 

様々な人がその影響を被っていますが、気の毒な子どもたちは夏休みを大幅に失った上にこの暑さの中、マスクで登校しなくてはなりません。

息子の小学校もすでに2学期が始まっていますが、息子はまだ自主的夏休みを続けています。

息子には小学校へ遊ぶつもりで楽しく通ってほしかったし、学校生活が始まれば友だち付き合いも覚えて、このブログでもまた色々と書くことができるんだろうと思っていたんですが。

まさか学校に行くことそのものがリスクとなるとはねえ…。

 

学校に行ってない間もそうですが、夏休みの間にも課題は出ます。

息子は課題を喜びません。

他の先生や学校がどうなのかは知りませんが、私から見るとずいぶん課題の量が多いと感じます。

もちろん、息子がその気にさえなればすぐに終わってしまうような内容ではあるけれども、息子はとにかくやりたがらないです。

これを一種の訓練のようにしてやらせることがいいことなのかどうか、今でも答えが出ていません。

 

さて、息子の読書生活について最近あまり触れていなかったのですが、絵本よりも図鑑や漫画が中心になっています。

絵本をまるで読まないかというとそんなことはなく、非常に短い時間ですが一人で引っ張り出して読んでいることがあります。

読んであげようか」と言ってもほぼ断られます。

これについては私の怠惰もあり、もっと良いタイミングを見計らって持っていけば絵本を読む機会はいくらでも増えるはずだと思っています。

 

あと、夜寝る前には字の多い児童書を読み聞かせるのが習慣化しています(いくら読んでも寝ませんけど)。

以前に息子に読んだ児童書の感想文的な記事を書きましたが、あれから読んだ本も増えてきたので、その一部だけですが久しぶりに紹介してみようと思います。

 

≫たまには児童書感想文

 

まずは世界的名作「くまのプーさん」(岩波書店・石井桃子訳)。

ディズニーのイメージが圧倒的でしょうけど、私も原作を読んだのは息子に聞かせた時が初めて。

ストーリーやらキャラクターやらは省きますが、息子が笑い転げ、何度も繰り返し読みたがるのはさすがに名作。

 

海外児童書らしく文章が諧謔に満ちていて、息子の年では理解が難しい内容が多いと思うのですが、それでもしっかりと面白いのですね。

導入部からして複雑で、この物語は作者が息子の「クリストファー・ロビン」に聞かせているお話という形式を取っています。

クリストファー・ロビンはぬいぐるみのくまの「プー」を持って父親の話を聞いています。

ここではプーは本当のぬいぐるみとして描かれています。

しかし、お話の中ではプーは動いて喋り、クリストファー・ロビンや森の仲間たちと交流を持ちます。

息子がすんなりとこの二つの次元を理解できたとは思えません。

それでもじっと話を聞き続け、プーが木から落ちたり、コブタが怖がって取り乱したりするシーンではゲラゲラ笑い転げます。

そして時々は自分で読んでいます。

 

ちなみに私はディズニー版よりもE・H・シェパードさんの挿絵が好きです。

クリストファー・ロビンの美少年っぷりが凄い。

 

グリックの冒険」「ガンバとカワウソの冒険」(斎藤惇夫作・薮内正幸画)。

これは前回も紹介したドブネズミ・ガンバシリーズ「冒険者たち」の続編的作品です。

 

発表順としては「グリック」が最初で、「冒険者たち」「ガンバとカワウソ」と続きます。

どちらも相当長いお話ですので、2冊読了するまでにはかなり時間を要しました。

毎回小さな動物たちが大変な苦労をし、必ず何人かのキャラクターが死にます。

一作目を読んだときはラストで初めて涙した息子ですが、もう今ではそういう物語も受け入れるようになりました。

ただ、その後で自分のオリジナルストーリーの漫画を描いて、死んだキャラを生き返らせたりしています。

 

二分間の冒険」(岡田淳作・太田大八画)

今でもよくあるところの、異世界に召喚された普通の主人公がヒロインを守って敵と戦うファンタジー。

主人公は「いちばんたしかなもの」を捕まえることで元の世界に戻れるという設定。

子どもの時に読んでもいまいちピンとこない哲学的テーマが含まれており、大人になってから読むことで新しい発見ができる作品です。

竜との知恵比べや主人公とヒロインの淡い恋、それに太田大八さんのオリジナリティあふれる竜の造形も見どころ。

 

キョーレツ科学者・フラニー」シリーズ。(あかね書房)

ジム・ベントン作の子ども向けドタバタSFコメディー。

主人公はフラニーという小学生の女の子ですが、いわゆるマッドサイエンティストで、不気味な怪物を作り出したり、危険な発明をしたり。

これは息子が一人で読みふけってました。

日本での「かいけつゾロリ」シリーズのように、海外で子どもたちに圧倒的人気のシリーズのようです。

一度読みだすと止まらなくなるくらい面白い。らしい。

 

なんじゃもんじゃ博士」(長新太・福音館書店)

これは「母の友」という雑誌に連載されていた2ページ完結の漫画作品です。

ナンセンスの神様・長新太さんの味が最もよく味わえる作品だと思いますので、長さんファン必読の書として薦めたいです。

 

「ハラハラ編」「ドキドキ編」があります。

とにかくとぼけたなんじゃもんじゃ博士のキャラクターと、物言わぬ相棒のゾウアザラシのコンビが、行く先々で奇怪な生き物に絡まれ、「ワーッ」とか「トホホ」とか「どうしようどうしよう」とか言いますが、最後は「ああ、よかったねえ」で済んでしまう。

読み終わると自然と口調がなんじゃもんじゃ博士っぽくなります。

 

このシリーズの絵本化作品「なんじゃもんじゃ博士のおべんとう」を息子が1〜2歳くらいの時に読みましたが、その時の息子の反応が忘れられません。

博士たちが巨大エビに襲われて、「おおきな ツメが せまってくるぞ!」というシーンで息子は泣きそうになって部屋を飛び出し、なんかごそごそして持ってきたのは爪切り。

爪切りで切るの!」と叫んだときの息子は本当に可愛かったです。

 

以上、本当にごく一部しか紹介できなかった…。

他にも色々と読んでいますが、また機会を見つけて紹介したいと思います。

そういえば息子は小学校の図書室からはもっぱら「かいけつゾロリ」シリーズを借りてきます。

やっぱりねえ。

 

 

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絵本・ことば・精神

 

こんにちは、絵本専門店・えほにずむの店主です。

 

寒くなってきましたね。

今年も終わりが見えてきて、そして年が明ければ我が家の息子もいよいよ小学生です。

 

相も変わらず徹夜するし、何だか最近乱暴だし、衝動を抑制できないし、心配事は尽きません。

担任教師はちょっとやりにくいでしょうね。

行ってみないとわかんないけど。

 

私もこれまでは「まあ、小学校に行くまでには色々成長して変わるだろう」と楽観していたのが、どうもそうでもなさそうなところもあって、焦ったり、いや別に問題ないだろうと考えなおしたり、落ち着きません。

初心に帰るつもりで、これまで続けてきた「読み聞かせ」というものをもう一度考えてみたいと思います。

息子と共に6年間、実にたくさんの絵本や児童書を読みました。

 

≫3歳までに絵本を1000冊読み聞かせたら

≫絵本の海を泳ぐように。【4歳までの読み聞かせ育児レポート】

≫読み聞かせ育児・5歳まで

≫絵本の森で6年間。【絵本と育児・6歳まで】

 

けど、息子が生まれた頃に考えていたよりは、これでもまだまだ読んだ本の数や回数は少ないのです。

もっともっと読めたはずなのに……という思いは常にあります。

大人でも集中的な読書経験によってある種の脳内変化が起こることがありますが、大人とは比べ物にならないほどの吸収力を持つ子ども時代に集中的読書を体験することによって、その後の人生に大きな影響を及ぼすことが近年の実例として知られています。

 

≫クシュラの奇跡

≫読み聞かせという英才教育

 

「早教育」は日本でもよく耳にする言葉ですが、その方法は様々です。

気を付けなければならないのは単なる知識の詰め込みや無理な記憶が、場合によっては子どもの健全な成長を阻害しかねないことです。

目指すべきなのは子どもの健康で円満な成長であり、「幸せに、愉快に暮らしていける」能力の涵養です。

現代の受験に偏った教育(幼児教育も大部分はその傾向があります)は、端的に言えば「年収やステータス」が人間的幸福に直結しているという「信仰」が元になっています。

 

絵本を読む、読んでもらうというのは、まったく自然な子どもの欲求です。

子どもの際限なき「もう一回」に寄り添い、子どもが手を伸ばせる位置にいつでもたくさんの絵本を置いておくことで、子どもの依存心を満たし、知的好奇心を刺激し、美的審美眼を育てる。

あらゆる知育教材よりも、絵本は優れて子どもの発達に寄与すると今でも私は確信しています。

 

もちろん保育所にも幼稚園にも行かなかった息子は、集団での作法や世間知という点では、他の子に遅れているでしょう。

しかし、それはこれからでも十分に学べるし、学ぶ時期もこれからの方が良いと思うのです。

 

大量の絵本や図鑑と共に幼児期を送った息子の中には、まだ表面に出てきていない無数の「ことば」がマグマのようにたぎっているはずです。

彼は就学前の幼児にしては相当な語彙力を持ってはいますが、それらは未だ血肉とはならず、単に「知ってるだけ」という語句もたくさんあります。

何かを言おうとする時、息子はよく言い淀みます。

腹の中に言葉は溢れていても「言いたいこと」にぴたりと適応する言葉が見つからないのかもしれません。

それは人生経験の少ない子どもには仕方のないことです。

 

今はまだ「ことば」の「種」を撒いているのです。

どうしてそれほど「ことば」が大事なのでしょう。

 

ヨハネによる福音書の有名な冒頭の一節に、「はじめにロゴスがあった。ロゴスは神とともにあり、神はロゴスであった」とあります。

ロゴス」は汲みつくせないような意味の単語ですが、端的に言えば「ことば」を現わしています。

ここでの「ことば」は単に発話や文字に限定されない、もっと根源的なものです。

 

生まれたての赤ちゃんでも、いや、母親のおなかにいる胎児でさえも、「ことば」を持っており、「ことば」を読もうとします。

字を知らない子どもでも絵本を読みます。

絵に込められた「ことば」を読むのです。

胎児は母親の感情や感覚を「ことば」として読み、母親は胎児の発する「ことば」をメッセージとして受け取ろうとします。

 

言語を学習し、覚えて行く過程で、私たちは「ことば」を「所有している」ように感じますが、見方を変えればそうではない。

「ことば」はもともと万物の中に「核」として備わっており、万物は「ことば」を核として形成されているのです。

唯物論的に考えると理解しにくいんですけどね。

 

その「ことば」の広がりはとても人間の言語などでは捕捉しきれません。

しかしそれでも、人間だけが万物から「ことば」を取り出す能力を与えられているのです。

世界を観察し、感じ取り、それを思考するとき、それは「ことば」を探す行為に他なりません。

 

そのために人間に与えられた能力は感覚器官と思考力だけではありません。

想像力によって、人間は「ことば」を取り出すのです。

 

しろくまちゃんのほっとけーき」という絵本に、子どもたちに異常なまでに人気のある「ホットケーキを焼くシーン」があります。

「ぽたあん」「どろどろ」「ぴちぴちぴち」「ぷつぷつ」「やけたかな」「まあだまだ」「しゅっ」「ぺたん」「ふくふく」「くんくん」「ぽいっ」「はい できあがり」。

たったこれだけのテキストと、平面的でシンプルな絵で、子どもたちは目の前に実際にホットケーキを顕現させるほどの想像力を発動します。

匂いや熱に至るまで、ありありと思い描きます。

それは子ども自身の力によるところもありますが、絵本の持つ力でもあります。

 

想像力を刺激し、引き出してくれる物語を求め続け、それに出会った時、子どもは何度でも同じ話を繰り返し聞きたがります。

彼らは無意識にでも、「見えないものを見る力」が今後の人生にとってどれほど重要であるかを知っているのです。

 

世界は「ことば」でできている。

人間だけが想像力によって世界から「ことば」を取り出せる。

 

このことをよく考えてみてほしいのです。

 

想像力の衰退は「実際に」世界を荒廃させます。

「ことば」を正しく取り出せないと、そこにある本当の生命に気づくことができません。

すると「実際に」生命は衰微していきます。

 

赤ちゃんを前にしたとき、そこにある奇跡的な生命力や圧倒的な存在感や未来の可能性を感じ取れないとしたらどうでしょう。

ただ見える情報として、「未熟で弱い生き物」としてしか認識できなかったとしたらどうでしょう。

 

けれども、逆も真です。

 

想像力を育てるという行為は、目まぐるしい現代社会の中では迂遠な作業に映るかもしれません。

「そんなことより、現実に生きて行くための能力を」と親たちは切羽詰まった思いで子どもを育てているように思えます。

その気持ちはとてもよくわかりますし、私もしょっちゅう焦りを覚えています。

 

しかし、育児において大切なのは「信じて待つ」態度だと思っています。

子ども自身に内蔵されている豊かな人間的能力と成長力を「信じて」、余計な心配や横やりを入れずに、今するべきサポートをしながらそれらの開花を「待つ」ということです。

 

正直言ってイライラさせられることが多いのも事実ですけど、もう一度腹を据えて、息子を信じて、そして待ってみようと思うのです。

 

 

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