絵本における性差について(の本に対するツッコミ)

 

こんにちは、絵本専門店・えほにずむの店主です。

 

絵本に関する本なら何でも読む私ですが、この前、とあるグループが発行した「絵本にみる性差別」という小冊子を手に取りました。

いわゆる女性問題を考えるグループですが、小冊子自体わりと古いものだったので、今でもそのグループが活動しているのかどうかは知りません。

 

この冊子では、幼児向き人気絵本から120冊ほどを選んで、「調査結果」を報告するという内容になっています。

「性差」の観点から絵本を読むというのは興味深いことですが、正直なところ、読んでいてだんだん気が滅入ってきました。

 

絵本の主人公に女性が少ないという問題は大いに考える価値がありますが(ほんとにそうかどうかは120冊程度の統計では結論が出せないところですが)、問題提起のほとんどは、

女性ばかりが育児に関わっている

男の子はズボン、女の子はスカートを履いている

男の子は自動車のおもちゃを持っているのに、女の子はぬいぐるみを持っている

とかいう「性差における作者の固定観念」の指摘が主でした。

幼いころに与えられるそうした「刷り込み」が、子どもに「性差別」の意識を植え付けるのだそうです。

 

しかし、別にフェミニストの方を敵に回す気はないのですが、控えめに言って、この筆者の指摘には「?」がたくさん浮かびました。

 

例えば「11ぴきのねこ」において、11ぴきがオスであるかどうかは不明なのですが、筆者はこれを「オスばかりのようである」と判断しています。

男が狩りに行く時には、女は足手まといになるのであろう」とも。

あのう、それってまさに筆者の「男女観」を当てはめているんじゃ……。

 

また「ぐりとぐら」も男の子ですが(これは一応、「ぼく」という一人称なので順当な見方)、料理をしたり帽子に花をさしたりしているところは良い(?)として、作る料理がカステラという手間のかかるものであることは、料理においても男の方が才能や天分があるような過大評価がなされることから来ている、というのです。

なんかもう、こじつけ以上のなにものでもない気がしますが。

 

いたずらきかんしゃちゅうちゅう」は、主人公の機関車が女の子で行動的という点は評価(?)しつつ、燃料切れで助けてもらうというストーリーは「女が一人で行動しようとしても結局うまくいかないのだ」という押さえ込みなのだと解釈されます。

 

スイミー」は「受験競争やサラリーマン社会での出世競争に勝ち抜いて欲しいという母親・妻の願い」の物語であり(なんでそうなるのかの理路は不明)、「のろまなローラー」が結果的にみんなに感謝され、尊敬されるのは「ローラーが男であるから」だと結論づけられます。

 

何というか、よくもまあここまで絵本をつまらなく読めるものだと感心さえしました。

そういう趣旨の企画なのだから仕方ないのかもしれませんが、こういう「検閲」的目線で絵本について語られ続けると、絵本好きとしてはゲッソリしてしまいます。

とらっくとらっくとらっく」に至っては、おじさんの喫煙シーンを「教育上好ましくない」という、もはや性差と何の関係もない批難までなされています。

 

この筆者は、「男の子がスカートを履いて人形遊びをし、女の子がズボンを履いてサッカーをし、父親は家で家事をこなし、母親が外で働く」という絵本を「良い絵本」とするのでしょうか。

それって、筆者らの言う「男優女劣」の価値観はそのままに、男女を反転させただけの世界だと思うのですが。

 

それは結局のところ「性差」にこだわり過ぎる「不自由な精神」の表れだと思います。

 

我が家は一人息子ですが、私は「男らしく」とか「男なんだから」という言葉を使うことはありません。

息子は初めから乗り物絵本が好きでしたし、そういう玩具を選びましたが、ぬいぐるみ遊びもするし、ままごとも好きです。

何度も書いてきたことですが、私は息子に何も強制しないし(歯磨き以外は)、息子がやりたがることは可能な限りやらせてあげます。

「内的に自由」な人間に成長して欲しい。

それが私が息子に望むことだからです。

そして「内的に自由」な人間は、差別や偏見とは最も遠いところにいます。

 

私は別に絵本作家が無謬であるとは思いません。

どんなに優れた作家であっても、時代や環境から完全に自由というわけではないでしょう。

ですが、名作と呼ばれる絵本には、必ずどこかに美しい真実が描かれています。

 

それを見い出し、掬い取るためには、真実を感じ取れる自由な目が必要です。

すべての子どもは生まれながらにその素質を持っています。

その素質を伸ばしてやるためには、我々大人が横合いから無粋な口出しをしないことです。

「こういう絵本を読みなさい」と手を回すことは、「男らしさ・女らしさ」の押しつけと精神的には似通っています。

 

やがて子どもが自ら読みたい絵本を選べるようになるまでは、できるだけ多くの、偏らないジャンルの絵本を用意してあげたほうがいいと思います。

「性差と無関係」だからという理由で「はらぺこあおむし」とか「ごろごろにゃーん」ばかりを読み聞かせるのは、それはそれで歪です。

もちろん、どちらも素晴らしい絵本ですけどね。

 

最近はカメラの仕組みに関する本がお気に入りの息子。

 

関連記事≫絵本をどう選ぶか。そして、どう読んであげるか。

≫絵本の紹介「11ぴきのねこ」

≫絵本の紹介「ぐりとぐら」

≫絵本の紹介「いたずらきかんしゃちゅうちゅう」

≫絵本の紹介「スイミー」

≫絵本の紹介「のろまなローラー」

≫絵本の紹介「とらっくとらっくとらっく」

≫絵本の紹介「はらぺこあおむし」

≫絵本の紹介「ごろごろにゃーん」

 

■これまでに紹介した絵本のまとめはこちら→「100冊分の絵本の紹介記事一覧

■えほにずむでは、このブログで紹介した以外にも、たくさんのよい絵本を取り扱っております。ぜひ、HPも併せてご覧ください。

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子どもの読書習慣のために

 

こんにちは、絵本専門店・えほにずむの店主です。

 

ネットショップとかやってる割に、私は機械オンチです。

いまだにガラケーユーザーですし。

いくら説明されても、よくわからないんですね。

 

しかし、子どもの電子機械に対する興味と学習能力は凄いものです。

うちの息子(3)は、以前から妻のスマホをオモチャにしていたんですが、教えてもないのに自分で写真を取って加工までするようになってます。

下は息子の撮った写真。

最近の子どもは、小学校に上がる前からスマホやPCを扱うことも珍しくないんですかね。

 

でも、絵本屋の立場としては、やっぱり子どもにはそういうものにあまり近づいてほしくはないんです。

 

やはり、電子機器の映像は、赤ちゃんには刺激が強すぎます。

情報量も多すぎるし。

 

以前にも書いたかもしれませんが、子どもの五感の健全な発達を考えれば、静かな部屋で、抱っこして、絵本を読み聞かせる以上の仕事を、電子機器が代わってくれるとは思えません。

それに、子どもに動画を見せ過ぎることへの不安は他にもあります。

 

それは子どもの「読書離れ」です。

これは別に、私が本好きだから(それもあるけど)言ってるわけじゃありません。

 

動画というのは、受動的です。

読書と比べれば、想像力を働かせる余地が少ないのです。

 

また、読書ならば自分のペースで読み進め、前に戻ったり、じっと思索にふけったりすることもできますが、動画では基本そうはいかないでしょう。

 

前回の記事で触れた、「子どもの主体的な学び」という観点からすれば、動画の見せ過ぎは子どもの知的探究心を阻害しかねません。

≫読み聞かせと「子どもの学び」について

 

古臭い考えに聞こえるかもしれませんが、読書習慣と知的探究心は密接な関わりを持っていると思うのです。

 

そういうわけで、うちでは息子が2歳になるまでは、TVやPC画面はほぼ見せませんでした。

 

しかし、現代社会で生きる上で、PCやネットから完全に縁を切ることは難しい、というかほぼ不可能でしょう。

それに、あまり親が禁止し過ぎると、かえってそれに対する興味が大きくなるでしょうから、時間制限を設けた上で遊ばせるというのが現実的な方法でしょう(それが難しいのかな)。

重要なことは、インターネットなどの環境から子どもを「切り離す」ことではなく、子どもが自分でそれらを「コントロールできる」ような成長の仕方をすることです。

 

コントロールというのは「使いこなす」ことではなく、依存したり振り回されたりしないことです。

 

現状では、多くの大人もそれをできていないわけですから、まずは大人がしっかりしないことには、子どもにどうこう言える話じゃないでしょうね。

 

けれども、幼いころに、たくさんの幸せで楽しい読み聞かせ体験をした子どもは、大きくなってからも読書の楽しさを忘れないはずだと、私は信じています。

 

そういう子どもは、たとえ一時は電子ゲームやTVに興味を奪われたとしても、いずれは本に戻ってくるでしょう。

自分の知的探究心を満たしてくれるものはそこにあることを、その経験から知っているからです。

 

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読み聞かせと「子どもの学び」について

 

こんにちは、絵本専門店・えほにずむの店主です。

 

相変わらず、毎日絵本を読み聞かせています。

ですが、最近、少し頻度が下がっています。

ひとりでお気に入りの絵本を見ていることはあっても、「読んで」とリクエストしてくることが少なくなったようです。

 

以前は「数打ちゃ当たる」方式で、大量に絵本を仕入れていたんですが、現在はある程絞り込んで選んでいます。

しかし、子どもの興味や好みは日々変化していきます。

その変化に、こちらがついて行けていないことが、安打率の低下原因かもしれません。

 

またそろそろ、一気に100冊くらい絵本棚に投入するべきか、検討中です。

さて、よく疑問に思われるのが、「どうしてそこまで読み聞かせを頑張るの?」ということです。

読み聞かせが子どもの発達に良い影響を与えることは、すでに科学的根拠もしっかりと示されており、色んな所で紹介されています。

 

でも、だからって、1000冊も2000冊も用意して、1万回も2万回も繰り返して読め、なんてことはあまり言われていません(当たり前かもしれませんが)。

 

それは単に「子どもの健全な発達」という普遍的な親の願いを超えて、「早教育」の領域に踏み込んでいると言えるかもしれません。

事実、そうなのでしょう。

 

しかし、私も妻も、息子を有名大学に入れたいとか、エリートコースを歩ませたいとか、そういうことは考えていません。

 

別に、そういう目的を持って読み聞かせを始めたって、それはその人の自由だし、構わないと思います。

 

ですが、「この子を進学校に」「東大に」「有名企業に」などという親の希望は、たいていその後に、「そして将来、私たちの老後の面倒を見て欲しい」とか、「周囲に自慢したい」とかいう「自分の欲求」が潜んでいるものです。

ま、気持ちはわかりますけど、子どもはそういう親の心の裏側まで、意識的にではなくとも、ちゃんと見抜いているものです。

それが子どもの「健全な発達」に良い影響を与えるとは、私は思いません。

 

子どもは自分自身の生を生きようと望んでいます。

本来、すべての子どもがそうです。

自己中心的であることは、守られるべき子どもの特権です。

 

だから、子どもは親の「説教」や「強制」や「世間体を気にする態度」が大嫌いです。

本能のレベルで、そうしたものに反発します。

 

一見正しいことを言っているような親の言葉の奥に、「自分の生をコントロールしようとする念」を、極めて敏感に察知するからです。

 

よって、「この子を東大に」といったような目標を持って読み聞かせを熱心に頑張ったとしても、その動機が上に述べたようなものであれば、おそらくその試みは失敗するでしょう。

 

失敗、というのは「東大に入れない」ことではありません。

「子どもの健全な発達」という「本来の目的」が失敗するということです。

 

勉強しなさい」と何度言おうが逆効果であることは、健全な子どもの反応なのです。

むしろ、唯々諾々と親に従う子どもの方が危険です。

 

自分自身の生を生きられなかった人間は、必ずどこかに歪みを抱えることになります。

それがどんな形で破綻するにせよ、それともその歪みを抱えたまま人生を終えるにしろ、自由でも幸福でもないことは確かです。

 

だからって、親に反発し続けて、まったく勉強を放棄すれば幸せになれるかと言うと、その可能性は低いでしょう。

 

大切なのは子どもが「主体的に」学習することです。

 

親が強制しなくたって、自然な形で知的探求心を満たしてやれば、子どもは自らどんどん学ぼうとします。

子どもは大人よりはるかに「知」に対して貪欲です。

 

「読み聞かせ」は、そうした「主体的」「能動的」学習のための土台であると思っています。

 

その具体的方法については、また次の機会に。

 

■これまでに紹介した絵本のまとめはこちら→「100冊分の絵本の紹介記事一覧

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読み聞かせで大切な3つのこと

 

こんにちは、絵本専門店・えほにずむの店主です。

 

子どもへの絵本の読み聞かせって、簡単なようで難しい。

何をどう読めばいいかわからない。

つい億劫になって、毎日続かない。

 

そんな悩みを持つ方へ、何度かにわたって読み聞かせ奨励記事を書いてきました。

 

≫絵本をどう選ぶか。そして、どう読んであげるか。

≫大人のための「絵本の読み方」

 

もの凄くざっくりまとめると、

難しく考えないで、たくさん読んであげましょう

楽しんで読むために、まず自分が絵本を好きになりましょう

ということになります。

 

さて、今回は(やっと)具体的な「子どもへの読み聞かせ方」についてです。

思うところをだいたい以下の3点にまとめました。

●伝達者としての節度を守る

 

前回、個人的な絵本の楽しみ方について書いたわけですが、その際に断りを入れておいたのが、

大人が自分で読む場合と、子どもに読んであげる場合では、読み方が異なる

という点です。

 

自分で読む分には、どう読もうと自由です。

物語をどう解釈しようと、絵に込められた作者の意図をどう深読みしようと、そうした行為自体が絵本の楽しみです。

 

しかし、子どもに読んであげる時には、我々の立場は単なる「読者」から離れ、絵本と子どもの橋渡しをする「伝達者」となります。

自分の解釈や思想を、純粋な読者である子どもに押し付けることは避けねばなりません。

ましてや、登場人物の感情や考えについて、テキストにない説明を勝手に付け加えるようなこと(『この子はきっと悲しい気持ちだったんだねー』とか)は、無粋と言っていいでしょう。

 

だからと言って、「無になって読む」のとも違います。

それでは棒読みになってしまいます。

 

ちゃんと抑揚をつけ、感情を込めるべきところには感情を込めて読みます。

するとそこには避けようもなく、その絵本に対する自分の解釈が入り込みます。

自分がその絵本を好きなら、なおさらでしょう。

 

つまり、どうしたって「自分の色」は読み方に滲み出てくるわけで、それは無理に抑えなくても構いません。

それで十分なところに、さらに余計な言葉を差しはさむ必要はない、と言っているのです。

 

心を込めて読んであげたら、その絵本から何を受け取り、何を感じるかは、子どもに任せておく。

それが子どもに対する敬意であり、伝達者としての節度を保った態度です。

 

たとえば、友達に大好きな本や映画を紹介する時、作品に対する自分の熱い想いを語り過ぎたり、自分流の「見どころ」を解説したりし過ぎると、友達は引いてしまうでしょう。

 

ましてや、子どもは「何かを押し付けようとする大人」や「説教を垂れようとする大人」に対して非常に敏感で、そうした気配を察知するなり、反射的にその場から逃げようとします。

 

将来的に本好きな子どもになって欲しいと願っているのに、これでは逆効果です。

気を付けましょう。

 

ですが、「本文にないことは一切口にしてはいけない」というほど神経質になることはないと思います。

ことに、文の少ない絵本などでは、テキストだけを読んで終わり、というのではページをめくるのが早くなり過ぎますし、黙って絵だけを見ているのも(子どもが集中しているようなら構いませんが)、子どもが退屈してしまうかもしれません。

 

そういう場合に、「ここにこんな絵があるね」とか、「この動物は何をしてるんだろうね」とか、子どもが絵に入っていくきっかけを作ることは問題ないでしょう。

要は、二人そろって楽しめればいいんです。

 

●十分に間を取ること・絵を読むこと

 

これは、上記の「絵が中心の絵本」を読むこととも関係しますが、読み聞かせに慣れていないうちは特に、「間を取る」ことが難しいです。

大人はつい、テキスト中心の読み方をしてしまい、文の少ないページは早々に次に行ってしまいがちです。

 

ですが「絵本」は、その名の通り、絵が重要な役割を持つ本です。

読み聞かせる側がそれを理解し、「絵を読む」仕方で絵本を取り扱わなければ、子どもも本当の意味での絵本の楽しみ方を知ることができないでしょう。

 

かく言う私も、最初のころはテキストを追いかけるだけの読み聞かせ方をしていました。

今思ってもひどく下手な読み方で、棒読みの上に早口、子どもの反応も見ていませんでした。

 

息子は2歳以前には一人でも本を読めるようになりましたが、文字を覚えるのが早かったこと自体は、さほどいいことではなかったかもしれないと思っています。

 

と言うのも、絵本を読み聞かせている時の息子の目線を見ると、半分近くはテキストを追っているからです。

これは私がテキスト中心の読み方を続けていたせいかもしれません。

 

最近になってやっと、私自身が絵を読む楽しみを覚えたおかげか、息子も絵を詳細に見て、いろいろな発見をするようになりました。

また、息子を観察していると、テキストよりも絵に集中している時のほうが、絵本の世界により深く入り込めているように思えます。

 

テキスト中心の読み方から脱却しようと思えば、まずは絵本の全体を、隅々に至るまで楽しみつくそうとすることです。

 

すぐれた絵本は表紙、見返し、扉から裏表紙に至るまで楽しめるように工夫されているものが多いです。

そうしたことを理解し、じっくり読み、絵を見せてあげることで、自然と間が取れるようになって行きます。

 

●どう楽しむかは、子どもの自由

 

初めに述べた「伝達者としての態度」の話に戻りますが、読み聞かせにおいて重要なのは、主導権が子どもにあることです。

大人の独りよがりでは意味がありません。

 

もちろん、まだ本を読めない子どもは、読み聞かせてくれる大人を媒介者にしなくては絵本の世界に入っていくことはできません。

それでもやっぱり、あくまでも絵本は子どものためのものです。

 

だから、もし子どもが読み聞かせの途中で違う遊びを始めたり、何度も中断させられたりしたとしても、無理に絵本に戻す必要はありません。

大人が絵本をどう読もうと自由なように、子どもも自由に絵本を楽しんでいいのです。

 

うちの息子も、しょっちゅう絵本に出てくるものをブロックや紙工作で作ったり(作らされるのは私ですが)、登場人物になり切って演劇を始めたり、途中で絵本自体を忘れたりすることもしばしばです。

でも、それでいいと思っています。

 

大人は子どものために道を示すものですが、子どもがその道を通らなかったとしても、引き戻す権利はありません。

子どもが差し出した手は必ず握ってやらなければなりませんが、求められてもいないのに手を引くことは自重しなくてはなりません。

 

絵本を読み聞かせる態度はそのまま、子どもに対する親の態度につながるように思います。

 

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大人のための「絵本の読み方」

 

こんにちは、絵本専門店・えほにずむの店主です。

 

今回のテーマは「絵本をどう読むか」です。

以前の記事絵本をどう選ぶか。そして、どう読んであげるかの続きになります。

 

本当は前の記事で、具体的な読み方について書きたかったんですが、心構え的な話だけで長くなってしまったので。

絵本をどう読めばいいのか? という疑問に対しては、絵本の性質上、二種類の答えが必要になります。

 

それは「一人で読む」場合と「二人以上で読む」場合です。

 

つまり、「大人が自分で読む」読み方と「子どもに読んであげる」読み方は別の物だということです。

 

絵本を大人が一人で読むなんて……」って思いますか?

いえいえどうして、絵本って相当面白いメディアですよ。

 

読み聞かせる側に心からの楽しみと歓びがあれば、それは子どもにもちゃんと伝わります。

豊かな読み聞かせ体験をしようと思うなら、大人の側が絵本を好きになることが、何よりもの近道でしょう。

 

絵本には読み方があります。

文字が読めればいい、というものではないんです。

 

別に格式ばった作法の話ではありませんが、漫画だって、慣れていないとちゃんと物語に入っていけませんからね。

実際、漫画文化が普及していない外国には、漫画を読めない人が結構いるようです。

 

絵本を楽しむためには、まず、「絵をじっくりと読む」ことです。

ただ絵画のように鑑賞するんじゃなく、絵の中に物語を「読む」んです。

 

これは漫画好きの人なら、そう難しいことではないでしょう。

基本的に、絵本は文章がすべてを語っているわけではなく、かなりの部分を想像で補完しなくてはなりません。

それが絵を読むということです。

 

そういう意味で、絵本の絵は「文章のおまけ」ではありません。

文と対等、もしくはそれ以上の関係にあります。

 

大人はつい、テキストのみを読んで絵本の内容を理解した気になりがちですが、それでは作品の半分、あるいはそれ以下しか読んだことにはなりません。

 

表紙から見返し、本文、裏表紙に至るまでじっくりと絵を見れば、そこに様々な物語を読めるはずです。

 

例えば、何気なく描かれた部屋のカット。

そこにあるインテリアから、そこに住む人がどんな人物か、どんな暮らしぶりをしているのか、想像して楽しめます。

壁に貼ってあるポスター、本棚に並んでいる本のタイトル、家具の種類やサイズ……手掛かりは無数にあります。

 

また、作者のちょっとした遊び心で描かれたものを見つけると、何やら自分宛てのメッセージを受け取ったような気にすらなるものです。

映画でもドラマでも、こういうことはあるでしょう?

登場人物が身に付けているものや、使っているものが気になったり。

小説だと、この手は使えません。

↑「14ひきのひっこし」より。

文中では語られないが、キャラクターそれぞれの行動や役割分担などがしっかり描かれている。

↑「ピヨピヨスーパーマーケット」より。

陳列棚に並べられた商品が細密に描かれている。また、駄々をこねる子どもたちなど、本筋と関係のない物語も、サブ・ストーリー的に読むことができる。

↑「おおかみと7ひきのこやぎ」より。

戸棚をよく見ると、写真立てらしきものが。本文には登場しないが、これがこやぎたちの父親では? と想像できる、作者の遊び心。

 

……などなど、ほんの一部の例を挙げましたが、映画と違って、1シーンごとをじっくり鑑賞できるのも、絵本の特徴です。

すぐれた絵本ほど、不必要な文章は削られ、無意味な絵は描かれません。

 

さて、そうやって想像を広げてゆけば、文には語られない登場人物の性格、思考、感情などが見えてきます。

さらに、作者の意図、思想、隠されたメッセージなども捉えられるようになってきます。

 

この手の「深読み」は読者の自由であり、ひとりひとりの解釈に正解も不正解もありません。

「よい絵本」をあえて定義するならば、こうした「無限の解釈の可能性」という「余地」を残しているかどうかが挙げられると思います。

 

私自身、このブログで色んな絵本を紹介する中で、勝手な解釈をあれこれ述べていますが、それらはあくまで個人的な「読み」であり、正解などではありません(当たり前ですけど、念のため)。

「こういう読み方もあるよ」と提示することで、「絵本って面白そう」と、一人でも多くの方に思ってもらいたいだけです。

 

ですから、「スーホの白い馬」とか「スイミー」とかが、国語の教科書に載ることは、それ自体はいいんですが、

この物語を通じて作者は何を言いたいのか

この場面において、主人公はどんな感情を持ったのか

なんていうお定まりの「読解問題」などに落とし込んで、単一の「正解」を当てはめてしまうようなことは、本当に馬鹿らしいことだし、もっと強く言えば、作品に対する冒涜だと思います。

 

第一、教科書用に編纂した時点で、それはすでに絵本として死んでいます。

絵本はその大きさ・形・色・構成・テキストの位置と配分・紙の質などの要素すべてが合わさって、初めてひとつの作品となります。

 

また漫画を例に出しますが、海外に行った時、向こうで出版された日本の漫画を読んだことがあります。

その国では本は左開きなので、本来と逆のページ進行に変更されていました。

 

そうすると、まあ読みにくいこと。

単に慣れの問題ではなく、絵の向きが逆になると、スピード感が失われたり、作者の本来の意図が破壊されたりするのです。

 

絵本も然り。

3びきのやぎのがらがらどん」で有名な絵本作家・マーシャ・ブラウンさんは、作品ごとに、その物語に合う画材・技法・レタリング・印刷・製本までを考えて制作に臨むといいます。

ですから、彼女の絵本は、ぱっと見ただけでは、同じ作者のものだと気づかないことがあります。

 

そうしたことを知ると、絵本をただの「子ども用の本」などと軽んじることはできなくなります。

 

私は、病院の待合室などで、絵本コーナーの絵本を真剣に読んでいたりします。

まあ……周りの目がまったく気にならないと言えば嘘になりますが。

 

絵本は大人が読んでも面白い、ということをもっと広めて、堂々と大人が絵本を読める時代が来ることを祈る次第です。

 

また長くなってしまいました。

今度は、子どもへ読み聞かせる場合の読み方について、近いうちに書きたいと思います。

 

関連記事≫絵本の紹介「14ひきのひっこし」

≫絵本の紹介「ピヨピヨスーパーマーケット」

≫絵本の紹介「おおかみと7ひきのこやぎ」

 

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