【絵本の紹介】「ふくろにいれられたおとこのこ」【451冊目】

 

こんにちは、絵本専門店・えほにずむの店主です。

 

今回紹介するのは「ふくろにいれられたおとこのこ」です。

再話:山口智子

絵:堀内誠一

出版社:福音館書店

発行日:1982年10月1日

 

もとはフランス民話で、再話者の山口さんは南フランスで現地の子どもたちから直接このお話を聞いたそうです。

鬼が子どもをさらい、子どもが知恵で危機を脱するお話で、日本にも同じような話型の昔話は散見されますが、印象の違いが興味深いです。

 

堀内さんの絵の力による部分も大きいですけど、とにかく明るい。

そして痛快です。

 

表紙にも描かれている鬼は金髪赤ら顔で鷲鼻ギョロ目という、なんだか戦時の日本人が欧米人に対して持っていた恐れを含んだイメージに近い造形ですけど、そのキャラクターはなかなか間が抜けています。

描写は怖さもあるけど、それがまた楽しい。

 

主人公は「ピトシャン・ピトショ」というユーモラスな響きの名前の男の子。

道でお金を拾ってイチジクを買い、それを食べているとイチジクが庭に転がり落ちてたちまち大きな木になって、ピトシャン・ピトショはその木によじ登ってイチジクの実をもぎます。

このテンポのいい物語運び、民話ならでは。

するとそこへ袋を担いだ鬼がやってきて、自分にもイチジクを放るように言います。

鬼はピトシャンをうまく引き付けておいてから枝を低くしてピトシャンを袋の中に入れてしまいます。

 

家に持ち帰っておかみさんと食べようというのです。

しかし、鬼が川の水を飲んでいる隙に、ピトシャンは袋をハサミで切り開いて脱出、代わりに石を詰め込んでおきます。

 

で、ここで逃げないのがピトシャンの強いところ。

なんと鬼の家に先回りして屋根に登り、様子を伺います。

何も知らない鬼は意気揚々と袋を持ち帰りますが、中からは石がごろごろごろ。

見ていたピトシャンはげらげら笑います。

鬼は怒って飛び出し、ピトシャンにどうやって屋根に登ったのか聞きます。

おおなべ ぜんぶと、こなべ ぜんぶと、おさらを ぜんぶ つみあげて、のぼったのさ

言われたとおりにして自分も登ろうとした鬼ですが、鍋も皿も崩れ落ちてしまいます。

 

さらに怒った鬼が本当はどうやって登ったのかと聞くと、ピトシャンは今度は

さきの とんがった ながい てつの ぼうを まっかに やいて、そのうえに のっかったのさ

その通りにしてしまう鬼……。

焼けた鉄の棒に串刺しになって死んでしまいます。

ピトシャンは難を逃れて家に帰って大団円。

 

★                   ★                  ★

 

間抜けた鬼というのは日本の民話にも登場しますが、ここまで素直な奴は珍しいのではないでしょうか。

さんまいのおふだ」に登場するオニババも和尚さんの計略に乗せられてやっつけられてしまいますが、一応知恵比べという印象があります。

 

≫絵本の紹介「さんまいのおふだ」

 

その間抜けっぷりがおかしくて、なんだか最後は可哀想でさえある。

串刺しは惨たらしいようですけど、物語の明るさ・テンポの良さによって読後感は爽快です。

 

南フランスの美しい街並みと輝く太陽、広がる海と空が印象的。

堀内さんは明るい青をふんだんに使っており、このお話をスリリングでありながらどこかのんびりと明るい、カラッとした味わいに仕上げています。

 

推奨年齢:4歳〜

読み聞かせ難易度:☆☆

オニの素直さ度:☆☆☆☆☆

 

■今回紹介した絵本の購入はこちらからどうぞ→「ふくろにいれられたおとこのこ

■これまでに紹介した絵本のまとめはこちら→「00冊分の絵本の紹介記事一覧

■えほにずむでは、このブログで紹介した以外にも、たくさんのよい絵本を取り扱っております。ぜひ、HPも併せてご覧ください。

絵本の買取依頼もお待ちしております。

 

〒578−0981

大阪府東大阪市島之内2−12−43

URL:https://ehonizm.com/

E-Mail:book@ehonizm.com

【絵本の紹介】「雪の女王」【443冊目】

 

こんにちは、絵本専門店・えほにずむの店主です。

 

寒くなってきましたが皆様お元気でしょうか。

11月もそろそろ終わり、気が付けば2022年もあとひと月で終わります。

ブログの更新頻度が亀なせいで「この前夏の絵本を紹介したと思ったのに、もう冬?」という気がします。

紹介したい絵本は山のようにあるし、育児に関することでも色々とあるので、ぼちぼちですけど綴っていきたいと考えてます。

 

今回はアンデルセン童話より、「雪の女王」を読みましょう。

原作:アンデルセン

絵:バーナデット・ワッツ

訳:ささきたづこ

出版社:西村書店

発行日:1999年11月1日(新装版)

 

絵を描くのはバーナデット・ワッツさん。

4歳の時に「ピーターラビットの絵本」の作者ビアトリクス・ポターさんに影響を受け、絵本を描き始めます。

童話の絵本化も様々手掛けており、「赤ずきん」などが特に完成度の高さを評価されています。

 

この「雪の女王」はアンデルセン童話の中でも大作で、童話としては長い物語構成になっています。

そして悲劇的結末も少なくないアンデルセン作品の中で、ラストは心温まる大団円となっています。

 

大きい町に住む二人の貧しい少年と少女。

二人は兄妹のように仲良しでしたが、ある冬の日、男の子のゲルダが突然心臓と目に痛みを感じます。

それはかつて悪魔が作った鏡のかけらで、それがカイに刺さったのです。

カイの心は氷のように冷え切り、女の子のゲルダに罵声を浴びせると走り去ってしまいます。

 

カイはそのまま雪の女王のそりに乗り込み、どこかへ連れ去られます。

残されたゲルダは帰ってこないカイを心配し、探し回ります。

ゲルダは魔女の家に世話になりますが、魔女はゲルダを手元に置いておこうとして彼女の記憶を消してしまいます。

けれどもやがてゲルダはカイのことを思い出し、再び彼を探す旅に出ます。

 

途中で会った王子と王女はゲルダを助け、様々な贈り物をしてくれます。

しかしそれがもとで山賊に襲われてしまいます。

ゲルダに興味を持った山賊の娘はゲルダを助けます。

山賊の娘のハトはカイが雪の女王のところにいることを知っていました。

山賊の娘はゲルダにトナカイを貸してやり、ゲルダを逃がします。

トナカイは雪の女王の国を目指して駆け続け、物知りのフィン人の家に立ち寄り、ゲルダに力を貸してくれるよう頼みます。

するとフィン人の女はカイが雪の女王の城にいること、カイを救う力はゲルダの心にこそあることを教えます。

 

ゲルダは雪の女王の城に辿り着きます。

ゲルダの歌が天使となり、雪の兵隊を退け、ゲルダは城の中に入ります。

そこには冷え切った体と心のカイが座っていました。

ゲルダはカイを抱きしめ、涙を流します。

ゲルダの涙はカイの心に刺さった悪魔の鏡のかけらを溶かし、カイは温かい心を取り戻します。

 

二人は再会の喜びにむせび、手を取り合って家に帰ります。

故郷に辿り着いたとき、二人は大人になっていましたが、心は子どものままでした。

 

★                   ★                  ★

 

大ヒットしたディズニー版「アナと雪の女王」のモチーフとなった作品ですが、読めばわかる通り内容はまるで違いますね。

意外なことに雪の女王は冒頭に登場するだけでセリフもほぼなく、その存在は謎に包まれています。

ゲルダがカイを助け出すシーンにさえも登場せず、戦ってカイを取り戻すわけでもないのです。

 

「悪魔の鏡」「雪の女王」はこの物語のテーマである「人の心」のマイナス面の象徴なのです。

世の中や人間の醜い部分のみがはっきりと映る悪魔の鏡、冷え切った心を心地よく感じさせる雪の女王。

一方で無邪気でひたむきなゲルダは様々な人の良い面を映し出すように、旅の先々で助けの手を差し伸べてもらえます。

 

最終的に善良な心が勝利する、単純で力強い物語は、ぜひ子どもたちに読んであげたいものです。

 

しかしながら現代では「善なる心が勝利する」という普遍的な願いや信念でさえも、巧妙に利用され、「正直者が馬鹿を見る」時代となっています。

騙されまいと知識を得、批評精神を身に付けるのは良いのですが、そうすると今度は世の中の悪い面、人の醜い面ばかりを見てしまう、正に「悪魔の鏡」状態にも陥りやすくなります。

 

どんなに知識を得て、賢くなったとしても、心の底の底にはゲルダのような美しさを失わずにいることが、難しくとも必要なことなのでしょう。

ラストの「子どもの心のまま大人になる」二人には、そのような作者の願いが込められているように思われます。

 

推奨年齢:6歳〜

読み聞かせ難易度:☆☆☆☆

山賊の娘のキャラクター好感度:☆☆☆☆☆

 

■今回紹介した絵本の購入はこちらからどうぞ→「雪の女王

■これまでに紹介した絵本のまとめはこちら→「00冊分の絵本の紹介記事一覧

■えほにずむでは、このブログで紹介した以外にも、たくさんのよい絵本を取り扱っております。ぜひ、HPも併せてご覧ください。

絵本の買取依頼もお待ちしております。

 

〒578−0981

大阪府東大阪市島之内2−12−43

URL:https://ehonizm.com/

E-Mail:book@ehonizm.com

【絵本の紹介】「マーシャとくま」【427冊目】

 

こんにちは、絵本専門店・えほにずむの店主です。

 

ロシアがウクライナへ侵攻を開始してからひと月以上経ちましたが、戦争はなおも続いています。

実際には2014年のクリミア併合から、ずっとロシアとウクライナは戦争状態にあったという見方もできます。

 

ウクライナという国、ロシアとの関係性について日本でも強い関心を持たれるようになり、絵本関連でいえば例えば有名なウクライナ民話絵本「てぶくろ」が改めて注目されたりもしました。

 

≫絵本の紹介「てぶくろ」

 

もちろん絵本から近代の歴史や政治情勢を読み取ることはできませんし、それは多くの歴史本や資料を読まなければわからないことです。

海外の民話絵本が私たちに伝えてくれるのは、それぞれの国に根付いた文化の香り、人々の暮らしや心情などです。

私たちがネットやテレビの情報を見て記号的に知ったような気になっているそれぞれの国にも、日々の暮らしを営む普通のひとびとがいるのだという当たり前の事実を教えてくれるのです。

 

今回はロシア民話絵本「マーシャとくま」を紹介します。

再話:M・ブラートフ

絵:E・ラチョフ

訳:内田莉莎子

出版社:福音館書店

発行日:1963年5月1日

 

絵を描いているラチョフさんは前述の「てぶくろ」の作者です。

黄色い表紙や本の装丁なども含め、この「マーシャとくま」によく似ており、対の作品といった印象を受けます。

ちなみに翻訳も同じ内田さん。

 

絵の点数はごく少なく、12ページしかありません。

そのぶんワンカットあたりのテキスト量が多いような印象を受けますが、さほど長い話でもないです。

 

カット数は少なくとも、一枚一枚の絵は実に重厚で雄弁で、ページを縁取る装飾も美しいものです。

「マーシャとくま」というタイトルですが主人公であるはずのマーシャの姿は表紙には見えません(実はいるんですけど)。

読んでみるとこのくまは悪役として登場するわけですが、何とも憎めないキャラクターでして、それは絵の力によるところも大きいです。

ぬぼーとした立ち姿、愛らしい口元、つぶらな瞳。

 

さて、お話を読みましょう。

ある村に住んでいる老夫婦の可愛い孫娘マーシャは、村の女の子たちと森へ茸や苺を取りに行きます。

けれど森の中でうっかりみんなとはぐれてしまい、マーシャは一軒の小屋に迷い込みます。

これが森にすむ大きなくまの家。

散歩から帰ってきたくまはマーシャを見つけると喜んで、これから彼女に自分の身の回りの世話をさせようと言い出します。

もしマーシャが逃げようとしたら食べてしまうと脅かします。

成すすべもなくくまの言いなりになるマーシャでしたが、一計を案じます。

お菓子を焼いたのでおじいさんとおばあさんに持って行ってあげたいと言います。

くまは許さず、「だめだめ、もりで まいごになってしまうよ。おかしを およこし。わしが もっていってやろう」と案外人の好いことを言います。

 

これがマーシャの思うつぼ。

マーシャは隙をついてお菓子を入れたつづらに潜り込みますが、くまは気づかず、つづらを背負って歩き出します。

しばらく行くとくたびれてきたくまは切り株に座ってつづらの饅頭を食べよう、と呟きます。

するとつづらの中からマーシャが𠮟責します。

 

くまはマーシャが高いところから見張っているのだと思い、「なんて めのきくこだろう!」と驚いてまた歩き出します。

しばらく行ってまた同じやり取りが繰り返されますが、結局くまはつづらの中にマーシャが潜んでいることに気づかず、親切にもおじいさんとおばあさんの家まで運んでいきます。

 

くまが戸を叩くと、くまを見つけた村の犬が一斉に吠えながら駆け寄ってきて、くまはびっくりしてつづらを置いて逃げ出します。

おじいさんたちがつづらを開くと、中からマーシャが出てきて再会を喜びます。

 

★                   ★                  ★

 

もう、とにかくくまが可愛くてたまりません。

怖くて悪辣なのに、間抜けでお人よしで、マーシャにいいように転がされてしまうところが…。

 

このお話をもとにしたアニメ「マーシャとくま」も制作されていますが、ストーリーはまったく別物のようです(私は観てませんけど)。

 

余談ですが、ラチョフさんはロシアの極東シベリア生まれで、ウクライナのキエフにある出版所で勤め、そこで子どもの本の絵について学んだそうです。

 

一刻も早い両国の停戦を祈ります。

 

推奨年齢:3歳〜

読み聞かせ難易度:☆☆

くまキュート度:☆☆☆☆☆

 

■今回紹介した絵本の購入はこちらからどうぞ→「マーシャとくま

■これまでに紹介した絵本のまとめはこちら→「00冊分の絵本の紹介記事一覧

■えほにずむでは、このブログで紹介した以外にも、たくさんのよい絵本を取り扱っております。ぜひ、HPも併せてご覧ください。

絵本の買取依頼もお待ちしております。

 

〒578−0981

大阪府東大阪市島之内2−12−43

URL:https://ehonizm.com/

E-Mail:book@ehonizm.com

【絵本の紹介】「くつやさんと10にんのこびと」【421冊目】

 

こんにちは、絵本専門店・えほにずむの店主です。

 

今日で11月も終わりですか。

いちいち早い早いと言いたくないんですけど、早いですねえ…。

 

毎度更新遅くて申し訳ないです。

そこまで忙しいわけではないと思うのですが、心に余裕がないのかもしれません。

それは仕事だけではなく、プライベートのこと、子どもの教育のこと、将来的な準備のことなど色々なことが常に気になっている状態で、あれもしなきゃこれもしなきゃと考えてるけれど現実問題としてはさほど動いてないような。

 

いい時は思考と行動がバランスよくすいすい動いて、万事うまく進んでいるという余裕が生まれるのですが、一度軌道を外れると修正に力がいります。

そこでもたついて結局すべてに余裕がなくなってくるという。

 

人間だれしも「いい時」は意識せずともうまく行くもので、「悪い時」にどう対処すべきかということが難しいものです。

今回は私なりに上記のテーマを踏まえた上で、名作童話絵本「くつやさんと10にんのこびと」を紹介したいと思います。

原作:グリム童話

文:林みづほ

絵:岡田昌子

出版社:金の星社

発行日:1977年12月

 

古典童話にはいくつものパターンが存在するものですが、原作では2人だったこびとがこの絵本では10人になっています。

そのイラストが本当に可愛い。

ちなみに原作ではこびとは裸ですが、ここではおそろいのボロ服と帽子、靴を身に着けています。

表情豊かな10人のこびとが画面を駆け回っている様は絵本として見ていて楽しいものです。

 

靴屋さんはおじいさん。

丁寧な仕事をする職人さんですが、高齢のために作業は遅く、一日に一足仕上げるのがやっとです。

 

その様子を窓際で眺める10人のこびとたち。

おじいさんとおばあさんはこのこびとたちの存在をちゃんと知っていて、おばあさんは毎晩こびとたちのために小さなカップにお料理を分けて窓際に置いてくれるのです。

 

ある晩、作りかけの靴を残したまま、おじいさんとおばあさんの姿が見えません。

2人にとって夜起きて働くことはもう無理になっていたのです。

こびとたちはおじいさんの代わりに靴を作ってあげようと相談します。

次の朝目を覚ましたおじいさんは出来上がった靴を見てびっくり。

靴はとてもよくできていて、すぐに売れました。

それからもこびとたちは毎晩靴を作ってくれます。

それに気づいたおじいさんとおばあさんは喜び、こびとたちのために新しい服と帽子、靴を作って窓際に置いておきました。

こびとたちは大喜び。

それからもこびとたちは靴作りを手伝い、おじいさんとおばあさんは元気に楽しく仕事を続けるのでした。

 

★                   ★                  ★

 

自分が寝ている間、休んでいる間、知らない間に自分に代わって働いてくれる「こびとたち」。

彼らは現実にもいると私は思っています。

 

それは別にリアルにこびとが存在するという意味ではなくて、自分一人でやってるつもりの日々の仕事も、意識外では様々な要素が絡まって進行しているのだということです。

身近な例では妻が家のほとんどのことをやってくれていますし、仕事でも色々な人にお世話になっています。

でも、そういう意識できるところ以外にも、毎日使う機器や道具類、交通インフラ、休憩時間に飲むコーヒー、ありとあらゆるところに「他者の仕事」の助けがあって初めて「自分が他者のためにする仕事」ができるのです。

 

自分の仕事は自分の物、他人の仕事は他人の物、と分けて考えたがる人がいますが、もちろん作業単位で見ればそういう切り分けも可能ですけど、大きな視点で見れば仕事は本来他人と切り分けられるものではないのです。

 

でも、「いい時」はこの事実を忘れがちです。

すいすい動いている時には、自分一人の力で進んでいるような気持ちになるものです。

「すいすい」動けているのは、自分だけの力ではありません。

 

朝、顔見知りが相手がにこやかに挨拶を返してくれただけで気分良く仕事に行けたり、嫌な態度を取られたらなんとなくその日は能率が悪い気がしたり、人間は無意識レベルで様々な他者からの影響を受けずにはいられません。

自分の力だけではなかなか物事はうまく回らないものなのです。

そこには上記のような「意識外のこびとたち」の支えがあるのです。

 

おじいさんとおばあさんはそんな「こびとたち」に対する感謝の気持ちを忘れないでいるから、こびとたちも機嫌よく働いてくれるのです。

 

今までは特に意識してなかった日々の物事が何となくうまく行かないな、という時は大抵、こびとたちに対する感謝心を忘れている時です。

そういうわけで私は今年の残りひと月を、もう一度感謝心とともに過ごしてみようと思っています。

 

推奨年齢:4歳〜

読み聞かせ難易度:☆☆

こびとの表情豊かさと躍動感度:☆☆☆☆☆

 

■今回紹介した絵本の購入はこちらからどうぞ→「くつやさんと10にんのこびと

■これまでに紹介した絵本のまとめはこちら→「00冊分の絵本の紹介記事一覧

■えほにずむでは、このブログで紹介した以外にも、たくさんのよい絵本を取り扱っております。ぜひ、HPも併せてご覧ください。

絵本の買取依頼もお待ちしております。

 

〒578−0981

大阪府東大阪市島之内2−12−43

URL:https://ehonizm.com/

E-Mail:book@ehonizm.com

【絵本の紹介】「シンデレラ ちいさいガラスのくつのはなし」【400冊目】

 

こんにちは、絵本専門店・えほにずむの店主です。

 

400冊目の絵本紹介は誰もが知る超有名人気童話「シンデレラ」を、コールデコット賞3回受賞(最多)の絵本職人マーシャ・ブラウンさんが渾身の筆で絵本化した作品。

福音館書店出版「シンデレラ ちいさいガラスのくつのはなし」です。

文・絵:マーシャ・ブラウン

訳:まつのまさこ

出版社:福音館書店

発行日:1969年6月15日

 

お話そのものを知らない人はいないと思いますが、伝承物語の宿命として、時代や地域によっていくつかの相違したパターンが存在します。

この絵本はシャルル・ペローの「サンドリヨン または小さなガラスの靴」を下地にしています。

サンドリヨン=シンデレラ、日本語訳では「灰かぶり」。

 

ペローは「長靴を履いた猫」をはじめ、多くの伝承を童話化したフランスの作家ですが、その作品内容には現代の目から見ると古臭いとも取れる「教訓」が提示されていたりします。

代表的な例としては以前に紹介した「あかずきん」の物語が挙げられます。

 

≫絵本の紹介「あかずきんちゃん」

≫絵本の紹介「あかずきん」

 

上記の記事で触れているように、ペローはこの物語を「若い女性の貞操」についての教訓話として描いています。

一方、グリム版ではいくつかの改編がなされているものの、赤ずきんの能動性が失われ、後年フェミニズム的観点から批判の的とされてもいます。

 

それはどちらがいいとか悪いとかいう問題ではなく、時代の要請によって形を変え、メタモルフォーゼを繰り返すことで現代まで生き延びている「昔話」のありのままの姿だと言えます。

「シンデレラ」も「あかずきん」同様ペロー版とグリム版が存在しますが、現代ではもっとも知られているのはむしろディズニー映画としての「シンデレラ」でしょう。

ラプンツェル」や「白雪姫」など、ディズニープリンセスがもはや原作を越えた影響力を子どもたちに及ぼしていることは紛れもない事実であり、無視することはできません。

 

≫絵本の紹介「ながいかみのラプンツェル」

 

「ペロー版」「グリム版」「ディズニー版」の相違点は後ほど触れるとして、まずはマーシャさんが再話した絵本の内容を追いましょう。

優しい母親を亡くし、「このうえもなくうぬぼれやでこうまんちきな女」を父親が後妻として迎えたために、継母とその連れ子である2人の姉にいじめられる主人公の少女。

家の中の辛い仕事を一人でさせられ、ぼろを着せられ、灰にまみれた少女を揶揄して、姉は彼女を「シンデレラ」と呼びます。

ある時お城の王子様が舞踏会を開くことになり、招待された二人の姉は舞い上がって髪や服の準備で大騒ぎになります。

気立てのいいシンデレラは、姉のために髪を直し、服装についてアドバイスをします。

けれども、当のシンデレラは舞踏会へ行くことを許されません。

 

当日、姉を見送った後、自分も華やかな舞踏会に行ってみたいシンデレラはたまらず泣き崩れます。

するとそこに「代母さま」が現れます(信仰上の母親役・保証人)。

この代母さまは「フェアリー」で不思議な力を持っており、シンデレラのためにかぼちゃを馬車に変え、はつかねずみを馬車馬に、どぶねずみを馭者に、とかげを従者に変えます。

そしてシンデレラには素晴らしいドレスを与え、小さいガラスの靴を渡し、彼女を舞踏会へ送り出します。

ただし、この魔法は夜中の12時で解かれること、その前に必ず舞踏会から帰ることを代母さまはシンデレラに注意します。

 

シンデレラがお城に到着するとそのあまりの美しさに広間は静まり返ります。

王子さまはシンデレラをダンスに誘い、彼女はまた淑やかに美しく踊りました。

シンデレラは自分の二人の姉に話しかけますが、姉たちはまさか彼女が「灰かぶり」だとは気づきません。

12時15分前、シンデレラは約束通り家に帰ります。

 

そして次の日の舞踏会も、やはりシンデレラは代母さまに頼んで舞踏会へ行かせてもらいますが、今度は王子様と過ごす時間が楽しすぎてつい12時を過ぎてしまい、慌てて走り去りますが、ガラスの靴を片方落としてきてしまいます。

 

すっかりシンデレラに夢中になった王子さまは舞踏会の後、小さいガラスの靴にぴったりと足が合うひとと結婚する、という御触れを出させました。

王子様のお使いは靴を持って国中を歩きますが、誰の足にもぴったりとは合いません。

やがてお使いはシンデレラの姉のところにもやってきます。

姉たちは何とかして小さい靴に足を押し込もうとしますが無理でした。

 

傍で見ていたシンデレラは自分にも靴を試させてほしいと申し出ます。

二人の姉は馬鹿にして大笑いしますが、シンデレラが美しい少女であることを見たお使いは、彼女にも靴を履かせます。

するとそれはぴったりと合い、さらにシンデレラはもう一方の靴を取り出して両足に履いて見せたので姉たちは仰天します。

 

そこへ代母さまが現れ、シンデレラを舞踏会で見たあの美しいお姫様に変えますと、二人の姉はシンデレラの足元に跪き、これまでの仕打ちを謝罪します。

シンデレラは二人を抱き起して何もかも許します。

 

その後シンデレラは王子様と結婚し、二人の姉もお城に呼んだ上、身分の高い貴族と結婚させてあげるのでした。

 

★      ★      ★

 

前述の「あかずきん」はグリム版の方が一般に広く流布していますが、「シンデレラ」に関してはこの絵本のようにペロー版の方が知られているでしょう。

グリム版ではシンデレラを手助けする存在は妖精ではなく鳥であり、靴は金であり、魔法は時間制限なしです。

 

さらに重要な違いとしては主人公を苛める二人の姉に対する残虐な報復描写があります。

王子様が靴に合う女性を探すシーンでは、姉たちは足の指や踵を切り落としてまで靴を履こうとし、血まみれになります。

しかも最終的にシンデレラと王子様との結婚式で姉たちは鳥に両目を刺し潰されるのです。

 

あまりにも怖い気がしますが、そうした点からか1950年のディズニー映画では細部は違えど基本的にはペロー版を原作としています。

常に読者である子どもを意識し、最適な手法を模索する絵本職人マーシャ・ブラウンさんですから、おそらくはそういう点も熟慮したうえでペロー版を基盤にすることを選んだのでしょう。

 

絵本ごとにタッチや技法を変え、二回は同じやり方を取らないブラウンさん。

今作は「三びきのやぎのがらがらどん」に近いペンタッチですが、荒々しさはなく、流麗で細かな表情や装飾の美しさが目を引きます。

 

≫絵本の紹介「三びきのやぎのがらがらどん」

 

けばけばしい色彩は用いずとも十分に壮麗で、登場人物はそれぞれの性質をよく表した表情で描かれ、実に生き生きと動いています。

シンデレラの変身シーンは心が躍りますし、ガラスの靴を落とす石段のカットでは、読者の目線移動までも計算されつくして構図が決められています。

この傑作絵本が現在絶版であるのは大変残念なことです。

 

さて「シンデレラ」と言えば女性のためのサクセスストーリー、「玉の輿」の代名詞的存在ですが、それゆえに近年ではフェミニズム的観点から批判の的となることもしばしばです。

シンデレラは結局「美貌」という「女性の武器」によって王子様に「見染められ」ることで幸せを手にするのであり、そこには美醜で女性を格付けする男性目線や、結婚=幸福という旧式な価値観が盛り込まれている、という指摘は無視できないものです。

 

しかし注意深く絵本を読めばわかるように、シンデレラの美しさは内面的美徳を象徴したものです。

(ディズニー版は違いますけど)そもそも継母がシンデレラを疎ましく感じるのは、この娘が「あんまりいい子なので、じぶんのむすめたちがいっそういやらしくみえて、がまんできなくなった」からです。

酷い仕打ちを受けてもじっと耐え、相手を恨みもしないどころかその幸せを願う聖女のようなシンデレラの心は、光が闇を照らすように、醜い人間の浅ましい心を白昼の下に曝け出します。

醜い人間は弱いので、そのことに我慢できないのです。

 

シンデレラの人間的美しさは普遍的なものであり、内面的美しさを外面的美しさと混同さえしなければ「美しい人間が幸せになる」物語を子どもに繰り返し聞かせることは決して有害ではないはずです。

けれども時代は常に変わり、人の価値観も変わり続けるものです。

現代ではこの絵本のシンデレラのような聖女的キャラクターは疎まれるかもしれず、むしろグリム版のような徹底的な「復讐シーン」こそが求められているような気さえします。

 

時代の流れには逆らえません。

ですが、遠い未来でも「シンデレラ」は例え姿を変えたとしても生き残っているだろうと思います。

 

何故なら、時代を越えてもやっぱりシンデレラの変身シーンは胸躍るものであり(これは男女問わないと信じています)、ガラスの靴がぴったりと合うラストシーンのカタルシスもまた揺るぎないものだからです。

この核さえ失わなければ、シンデレラの内面性がいかに時代とともに変化させられようとも、物語の面白さは失われないと思います。

 

逆に言えば「変身に胸が躍る」ことこそ、普遍的な人間の心の動きなのではないだろうか、と私は考えてみるのです。

 

推奨年齢:6歳〜

読み聞かせ難易度:☆☆☆☆

父親の存在感度:☆

 

■今回紹介した絵本の購入はこちらからどうぞ→「シンデレラ ちいさいガラスのくつのはなし

■これまでに紹介した絵本のまとめはこちら→「00冊分の絵本の紹介記事一覧

■えほにずむでは、このブログで紹介した以外にも、たくさんのよい絵本を取り扱っております。ぜひ、HPも併せてご覧ください。

絵本の買取依頼もお待ちしております。

 

〒578−0981

大阪府東大阪市島之内2−12−43

URL:https://ehonizm.com/

E-Mail:book@ehonizm.com