少子化対策が本質からずれていることについて

 

こんにちは、絵本専門店・えほにずむの店主です。

 

我が家は現状息子の一人っ子。

女の子も欲しい気持ちはあるけれど、色々な事情(お金と体力)によって、たぶんこれ以上は家族を増やさないと思います。

一方、世間では少子高齢化について議論されています。

この前、少子化対策として「3人目を産んだら1000万給付」てな話を耳にしまして、何というか、ゲンナリしたんですね。

 

いや、実現したら、3人まで頑張るかもしれませんよ。

貰えるものは喜んで貰います。

でも、現金支給よりも、とりあえず今すぐ大学まで無償化して欲しいですが。

 

しかし、この場でそういう政策の良否について語りたいわけではありません。

私が不快感を覚えたのは、また違う次元の話です。

 

つまり、「子どもを産み、育てる」という極めて人間的な行為を、利益によって誘導しようとすることに対する反射的な嫌悪です。

 

結婚しない、子どもを産まないという選択の背景には、経済的な理由が最も大きい壁として存在していることは確かでしょう。

けど、「お金あげるから産みなさい」と言われると、「は?」と思う。

誰だってそうじゃないでしょうか。

 

子育て家庭に対する環境支援は重要だし、もっともっと改善していかなければならないと思います。

しかし、育児しやすい環境を整えることと、「にんじん」で釣ろうとすることとの間には大きな開きがあります。

どこかの国みたいに「一人しか産んではいけない」と法で規制するとか、逆に「産めよ増やせよ」と号令をかけるとか、いずれにせよ「ほっとけ」と思うのが自然な人情ではないでしょうか。

 

子どもを取り巻く社会問題が解決しないのは、政治を担う人々が、結局のところ人間を理解していないからです。

子どもの可能性や、彼らが作る未来社会に何の興味も示さず、単に労働力としてしか見ていないからです。

 

真に必要なのは制度の改革よりも(それはそれで進めなければなりませんが)人間の(親の)意識の改革です。

利己主義や我執、惰性や自己否定などから解き放たれた精神が必要なのです。

 

社会のあらゆる悲惨の源泉を辿っていくと、そこには「不幸な子ども」がいます。

「幸福な子ども」を一人でも多く育てれば、社会は良い方向に向かいます。

言ってみれば当たり前のことです。

 

これはひとりひとりの意識次第で実現可能なことです。

それでもなお、子育てに大きな障害があるならば、そこにこそ行政の力が働くべきです。

 

世の中には、率直に申して「親になるべきではない」人たちが多く存在しています。

日々起こる子どもに対する耳をふさぎたくなるようなニュースが、それを示唆しています。

 

しかし、それでも、「親になること」「子を育てること」は個人の自由に基づくべきだと思います。

決して誰かが「お前は産め」「お前は産むな」などと指図してはならない領域の問題なのです。

たとえその判断が妥当であったとしても、個人の自由が尊重されないのであれば、それは本当の意味で「自由な子ども」を育てることにはつながらない。

 

ですから、子どもに関わる全ての大人が、自分の内面から目覚めなければならないのです。

空虚な理想論のように聞こえるかもしれませんが、本当に空虚なのは、損得勘定で子どもを産ませて人口増加を図ろうという貧しい発想ではないでしょうか。

 

 

■これまでに紹介した絵本のまとめはこちら→「100冊分の絵本の紹介記事一覧

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私が子どもに見せたくない絵本と、その理由

 

こんにちは、絵本専門店・えほにずむの店主です。

 

毎日毎日何千冊もの絵本を読み続けているわけですが、その中には率直に申して、「これはちょっと駄作だな……」と思わざるを得ない絵本もあります。

ですが、私がそう感じたからといって、息子に見せることを止めたりはしません。

作品の良し悪しを決めるのは息子の権利であり、検閲行為をすべきではないと思っているからです(年齢に適した絵本を選ぶことはしています)。

 

それに、どんな作品であれ、読者がその中のたった一行の文、たった一枚のカットからでも、何がしかの歓びや楽しみを見出せるのであれば、その絵本には存在意義があると思っています。

 

けれど、そんな私でも、「これだけは息子には見せたくないな」と思ってしまった絵本があるのです。

それは……。

それは、「地獄」という絵本です(画像は無関係。うちには現物がないので)。

 

結構マスコミでも取り上げられて有名なので、ご存知の方も多いでしょう。

それだけに、本を売る立場からこういうことを言うのはちょっと勇気がいるのですが……。

 

もとは延命寺というお寺に秘蔵されていた絵巻物です。

人の悪口を言うと針地獄

嘘をつくと釜茹で地獄

などなど、恐ろしく残虐なグロ絵で、地獄の恐ろしさを見せつけます。

 

これが、

しつけに良い

悪いことをしなくなった

と、親から好評だそうです。

 

しかし、「悪いことをすると地獄に落ちるよ!」というのは、「しつけ」ではなく「恫喝」です。

心理的な体罰です。

「子どもに恐怖心を植え付ける」ことは、これははっきりと「有害」だと言えます。

これは一々例を引くまでもなく、心理学的にも証明されています。

 

ですが、どうしてそういう「脅しによるしつけ」を「良い」とする声が、いまだに多くみられるのでしょう。

 

「懲罰形式」で「道徳」「倫理」を教えるやり方を是とする人の意見をまとめると、

まだ理屈が通じない子どもには、『どうして悪いことをしてはいけないか』を言葉で説くより、こういうわかりやすい形で見せる方が理解しやすいし、将来的にも倫理観が身に付いて、悪いことにブレーキがかかる

といったところのようです。

 

この理論はある意味で正しいのですが、根本的に人間を低レベルで捉えた考え方です。

 

これまでにも何度か書いてきましたが、私は「内的に自由」な子どもを育てたいと思っています。

親や先生に叱られるから悪さをしない」「警察に捕まるから悪さをしない」というレベルの倫理観は、外的なものに行動規範を支配されており、不自由な精神と言えます。

それは裏を返せば「見つからなければ何をしてもいい」ということにもなりかねません。

 

ま、実際にそういう人間が多いからこそ、昔の人が「地獄」という「絶対に逃げ隠れできない審判者」を設定したのでしょう。

しかし、結局のところ、それも外的なものに支配されている点は同じです。

 

恐怖心を植え付けて言うことを聞かせようとするやり方は、短期的には効果がありますが、要するにコントロールしやすい奴隷的人間を製造しているのです。

 

この逆に、「いいことをすると極楽に行ける」という「ご褒美で釣る」教育法も、外的なもので行動を左右されるという点で、上記の奴隷的精神と何ら選ぶところはありません。

 

そんなこと言ったら、どうやって子どもをしつければいいんだ!

と怒られそうですね。

私が、

別にしつけなくてもいいんじゃないですか

と言ったら、もっと怒られるでしょう。

家ではともかく、公共の場で子どもが悪さをしたら、きちんと叱るのが親の務めでしょう!

と。

 

確かに、人に迷惑をかけるのはいけないことです。

しかし、就学以前の幼児には、ほとんど説教は利きません。

そもそも公共心がまだ芽生えていませんから、「こんなことしたら人が迷惑するよ」と言っても、「だから何?」と思ってます。

「ぼくは迷惑しないよ」てなもんです。

結局、何がしかの罰を与えて「学習」させるしか手立てがないように思われます。

 

でも、思うのですが。

だったら、極力、公共の場に連れて行かなければいいんじゃないでしょうか。

 

2歳程度の子どもを連れてデパートなどに行き、子どもが駄々をこねると怒鳴りつける親を見かけます。

どうしても連れてこなければいけない事情でもあるのでしょうか。

今は通販で何でも買えるのにと思ってしまいます(絵本もね)。

 

もちろん、家庭それぞれの事情があるとは思います。

我が家だって、私と妻は誰にも頼ることができないような状況で子育てをしているから、よくわかります。

でも、せめて3歳くらいまでは、家と公園だけでも、子どもにとってはじゅうぶんだと思うのです(公園にも対人トラブルはありますが)。

 

小さいころからしっかりしつけないと、大きくなってからでは手が付けられない

という危惧もあるでしょう。

しかし、その意見の根拠は何でしょうか。

 

「しつけ」とは、「罰やご褒美で誘導する」ことだけを指すのではありません。

子どもは、周囲の大人の行動を、恐ろしくつぶさに観察しています。

そして、模倣します。

幼い子どもへの真のしつけは、周囲の大人が正しく振る舞うことがすべてだと思います

 

汚い言葉を使わない、物を投げない、だらしのないことをしない(書いていて恥ずかしくなりますが)。

子どもはちゃんと見ています。

 

そして、悪い振る舞いはすぐに真似をしますが、良い振る舞いは内面化するまでに長い時間を要します。

はっきりしたことは言えませんが、たぶん、それが表面に現れるのが、ちょうど小学校に入学するくらいの年ではないかと思います。

 

子育てに最も必要なのは、子どもの成長を「信じて待つ」ことのできる力です。

 

しかし親の心情として、どうしても「今すぐに」言うことを聞いてくれないと不安になるものです。

私だって何度も、「このままだと将来、本当にわがままな人間になってしまうのでは……」と、自分のやり方を疑ったことがあります。

 

「子どもの成長を待つ」ためには、「人間が本来正しい魂を持った存在である」ことを信じる必要があります。

嘲笑してはいけません。

古来、様々な賢人が、様々な言葉で、子どもは生まれながらに善なる存在であることを説いています。

高次の人間、内面の聖人、魂の貴族、霊的人間、解脱、悟り……なんでもいいです。

そうした「内奥の自我」こそが、真に「自由な人間」になるための鍵なのです。

宗教的な話に聞こえるかもしれませんが、別に宗教に依らずとも、至って現代的な生活の中で、かつて宗教的だった理想の人間を育てることは可能だと思います。

それは例えば、絵本の読み聞かせによってだって、できるはずです。

 

最後に付け加えておきますが、「絵本・地獄」は、貴重な美術資料として、大人が鑑賞するには良い作品だと思います。

テキストは失敗していますが……。

 

 

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親孝行について

 

こんにちは、絵本専門店・えほにずむの店主です。

 

今回は「親孝行」について。

親不孝者である私がこんなことを書くのは少々気が引けるのですが、正直に思うところを述べたいと思います。

 

結論からぶちまけてしまうと、「親孝行」なんか嘘っぱちだ、ということです。

ああ、罰当たりな。

と、自分で思ってしまうのは、私自身も世間一般的な価値観の中で育ったからです。

親孝行をしないことは人の道にもとる」と、潜在的に刷り込まれているからです。

 

詳しい出典は忘れましたが、かなり古い昔話絵本の作者のあとがきに、「君たちも大きくなったら、このお話の主人公のように、孝行しなくてはならないのです」というようなことが書かれていました。

そう言えば、多くの日本の昔話は、最終的に富を得た主人公が、育ての親(たいてい翁と媼です)を呼び寄せて楽をさせる……というのが定型のひとつになってます。

 

儒教の影響もあるのでしょう。

儒教自体を否定するつもりはありませんが、儒教思想はかなり政治的側面が濃いのも事実です。

ようするに、「目上の人間を大事に」「目上の人間に逆らうな」という「道徳」は、その延長線上に「国家に忠義を尽くせ」という支配者側の要求が存在します。

 

こういうことを言うと、

自分を育ててくれた親や、所属するコミュニティに感謝の念を持つのはいいことじゃないか

という声が上がります。

 

ええ、「感謝の念を持つ」のはいいことだと思います。

でも、「持ちなさい」というのは、全然違うことです。

 

以前の記事に書きましたが、私は「内的に自由」な子どもを育てたいと考えています。

外からの価値観や倫理観の押しつけは、その人間を内的に不自由にすると思うのです。

≫「自由な子ども」を育てるということ

 

そうは言っても、子どもの価値観や倫理観は周囲の影響力によって形成されるのだから、いずれにせよ「外的」なものではないか、という意見もあるでしょう。

でも、例えば親に温泉旅行をプレゼントしたりするにしても、本当に心からそうしたいと思ってやってるならいいですが、「親孝行しないとなあ」という、一種の罪悪感や重圧感から逃れる心理でやってるなら、それはやっぱり「不自由」でしょう。

 

「親孝行を教え込む」ことは、「子育てに見返りを求める」ことではないでしょうか。

子どものため、と、親は口にします。

しかし、その言葉の裏には往々にして、「将来偉くなって、金持ちになって、自分に楽をさせて欲しい」とか、「自慢できる子になって欲しい」とかいう要求が隠されています。

 

そういうのって、「愛」と呼んでいいのでしょうか。

 

ひとりの親として、私はそんな考えはさもしいと思うし、情けないと思います。

私は自分が親になりたいと思ってなったし、子どもにしていることは、全部私が勝手にやっていることです。

現在進行形で、物凄い体力と精力を消耗しながら息子を育てていますが、その結果として、仮に息子が将来文無しのホームレスになろうが、私は文句を言わないことに決めています(もちろん、そうはなって欲しくないですけど)。

 

温故知新、というのは大切な概念ですが、子どもに関して言えば、間違った古い考えがたくさんあります。

ヨーロッパで、幼い子どもが重労働に駆り出されていたのは、そんなに昔の話ではありません。

子どもは小さな悪魔であり、叩いて、締め付けて、矯正しなければ立派な人間にならない、と、本気で考えている大人が大勢いたのです(今はもういないことを願います)。

 

やっと最近になって、少しだけ子どもに対する理解が深まったのであり、まだまだわからないことだらけなのです。

だから、何の反省もなく、「昔はこうしていた」とか、「自分は親からこうやって育てられた」とか、それをそのまま子どもに当てはめようとするべきではないのです。

 

私は薄情な人間ですから、息子が成人してまで面倒を見たくないし、面倒を見られるのも嫌です。

お互いにひとりの人間として、自由に生きて行きたいと思っています。

 

そしてきっとその時までに、私は数えきれないほどのものを息子から受け取っているだろうと確信しています。

 

 

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絵本から体験学習へ

 

こんにちは、絵本専門店・えほにずむの店主です。

 

我が家の息子は、絵本を読んでいて気になるものが出てくると、すぐに「これ作って!」とねだります。

 

もっと小さいころに、乗り物絵本に登場する電車や飛行機を、ブロックで作ってやっていたのが始まりだったと思います。

そのうちに、ブロックでは再現しきれないような細かい要求(スライド式のドアを付けろ、とか)に応じるために、紙工作を始めました。

切って、貼って、色を塗って、磁石で連結させて、わりとこっちも楽しんでやってたんですが、鉄道図鑑なんかを読んでいると大変なことになります。

これとこれとこれとこれを作って

それからこれとこれとこれと……

近所の100均の工作用紙を全部買い占めたのは私です。

 

面倒な時もありますが、これをやってよかったことは、息子が欲しいものを「買って」と言わなくなったこと。

お出かけ先で、ミニカーやプラレールなんかを欲しそうに見ていても、「帰ってから作ってあげる」と言うと、納得するようになりました。

 

また、毎日のように工作過程を見ているうちに、自分でもハサミとテープくらいは使えるようになりました。

私は「子どもの主体的な学び」を重要視しているので、これは良い傾向だと思います。

 

今では、乗り物に限らず、何でもかんでも「作って!」です。

 

この他にも、絵本から実際の体験に移せることはたくさんあります。

 

まず、いわゆる「科学絵本」の中には、すぐに家庭で試せる実験が紹介されているものがたくさんあります。

こういうことを面倒がらずに、実際に子どもと一緒にやってみることはとても意義があると思います。

 

例えば、「じしゃくのふしぎ」という絵本には、針を磁石にこすりつけて針磁石に変化させ、両端にコルクを付けて水に浮かべ、コンパスを作成するという実験方法が描かれています。

 

やさいのおなか」という絵本では、野菜に紙を巻いて、その上からクレヨンの側面でこすって表面の模様を写し取る遊びが紹介されています。

 

タイトルは失念しましたが、野菜の切れ端を水につけて、根や葉の成長過程を観察する科学絵本もありました。

 

全部試しました。

息子はとても興奮します。

その好奇心と興味の火が燃え盛っているうちに、色々な知識を教えれば、驚くほどの吸収力を見せてくれます。

 

私自身には大した自然知識もないのですが、こんな時にも絵本は非常に助けになります。

↑「だるまちゃんとうさぎちゃん」の、あるページを熟読する息子。

しばらくすると立ち上がり、引き出しを漁って、冬用の手袋を引っ張り出して……。

うさぎの手袋人形を再現。

 

この「何でもすぐに、実際にやってみる」精神は、学習においてとても大切なことです。

絵本は必ずしも、じっと座って最初から最後まで読まなければならないものではありません。

そこからインスピレーションを受け取ったら、放り出して違うことを始めても全然構わないのです。

 

 

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「厳しくあるべき」か「甘やかすべき」かという「子育て二元論」について

 

こんにちは、絵本専門店・えほにずむの店主です。

 

GW中、息子と長い時間一緒に過ごしまして、成長したなと思うところもあれば、いつまでたっても変わらないところもあり、色々と考えさせられました。

 

休みの間はたくさん絵本を読んであげようと思っていたんですが、ほとんど読ませてもらえませんでした。

どうも、今は自分ひとりで読む方が好きな時期らしいです。

結構文の多い本や図鑑などを熱心に読みふけっています。

かなりスピードが速いので、絵や写真を見てるだけなのかと思っていたら、ちゃんと内容を理解していて、わからない言葉を尋ねてきたりします。

絵に関しても、ずいぶんと細かい点まで見ているようで、こっちも気づかなかったことを指摘されたり。

 

息子の読書レベルは新たな次元に進んだ模様です。

嬉しいような、寂しいような、焦るような。

 

それはいいんですが、睡眠に関してはいつまでたっても素直じゃないです。

ひとは夜に眠るものだということも、もうわかっているはずなんですけど。

GW最終日は、夜中の3時半まで起きていました(おかげで、これを書いている現在、物凄く眠いです)。

 

もっと厳しくしつけないからだ、と、ちょいちょい言われますが(親とかに)、一応こちらとしては、わざと厳しくしていないので。

 

育児論というものは星の数ほどあり、何をもって正解とするかの線引きも難しいものです。

どういう態度で子どもに接するにせよ、そこに賛否両論が発生するのは無理からぬことです。

 

最も単純な議題としては、「子どもに対し、厳しくあるべきか、甘くあるべきか」というものがあります。

このテーマについて、少しだけ思うところを。

 

私なんぞは完全に「子どもに甘い親」ですが、と言っても上の2択ですと、答えるのは難しいです。

というのは、どちらの言い分にも一理あり、同時に危うさも孕んでいるからです。

 

歴史的に見れば、「子どもは厳しくしつけるもの」というのはわりと昔からある考えです。

時代背景も考慮すべきでしょうが、一刻も早く子どもを成熟させ、社会に順応させ、何がしかの能力を持たせなければ、将来生き延びていけない、という切迫感が、この考えの根拠になっていると思います。

 

我が子のことを思えばこそ、心を鬼にして厳しく接する親」というのは、物語でもよく目にする一つのロールモデルです。

 

しかし近代になって、直接的な死の危険が減った代わりに、子どもの心の病の発症が問題視され、その原因の多くは「幼いころの親からの抑圧にある」という見方から、「子どもはもっとのびのびと、優しく育てた方がいい」という考えが多くなってきます。

 

ただ、心の病は必ずしも「厳しさ」ばかりに起因するわけではなく、独善的な親の「甘やかしすぎ」によって、精神を歪められるケースも指摘されています。

 

じゃあ、結局、どうすりゃいいの?

という迷える親たちの声が聞こえてきそうですが、育児という人類にとって永遠の課題に対して、そんな性急に一義的な回答を得ようとする態度こそが、現代のわれわれがもっとも気を付けるべき点だと思うのです。

 

時代、社会、家族構成、親自身の性格、子どもの個体差、成長度合いなどに応じて、微妙に答えは変わってくるはずで、そのたびに最適な対応を模索し続けるという面倒な作業を厭わないことが大事なのではないでしょうか。

 

そして一番の問題は、自分自身のことをわかっている親は、そうはいないということです。

厳しいしつけのつもりの虐待

優しさのつもりの甘やかし

こういうケースは山ほどあります。

 

子どもに厳しくするにせよ、甘えさせるにせよ、「きちんと」そうするためには、結構な人間力が求められるものです。

 

上記の問題点を含めた上で、私自身はやっぱり、少なくとも就学以前の幼児に対しては「厳しくするよりは、甘やかしたほうがまだいい」と思っています。

 

それは、「子どもに厳しくする」時、どうしたって自分自身を「子どもより上の存在」に位置付けざるを得ないからです。

私の場合は、そうです。

「私的な怒りを一切挟まず、純粋に子どものためだけに、必要なことを必要な言葉と態度で伝える」ほどの人間力は、私にはありません。

いくらそうならないようにしても、どこかで、「力」によって言うことを聞かせたい、という衝動が働くことを抑えられません。

言うことを聞かせた時の勝利感を否定できません。

 

「厳しい態度」を続けていく上で、「自分自身を省みる態度」を同時に持ち続けられればいいのですが、これはなかなか難しいことだと思います。

相手が子どもだと、親はどうしても無反省に陥りがちです。

 

逆に、「こんなに甘くして、将来大丈夫かな。甘やかしてるんじゃないかな」と、こういう反省は比較的しやすかったりします。

まあ、個人差はあると思いますけど。

 

子育てのライセンスはありません。

すべての親は、「もぐり」と言えるかもしれません。

だからこそ、常に自分を振り返る必要がある。

 

「子育てに自信のない親」も問題ではありますが、「子育てに無根拠の自信を持つ親」の方が、危険度で言えば大きいと思います。

 

この世に生まれてきたときは、すべてのものが善であるが、人の手に移されると、すべてのものが悪くなってしまう

とは、子どもの教育について語ったルソーの言葉です。

 

真理だと思います。

われわれは、人間を育てるにはあまりにも未熟です。

 

それでも、少しでも。

 

 

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