2017.05.19 Friday
【絵本の紹介】「おしゃべりなたまごやき」【125冊目】
こんにちは、絵本専門店・えほにずむの店主です。
明後日5月21日は児童文学者・寺村輝夫さんの命日。
今回は氏の代表作「おしゃべりなたまごやき」を紹介しましょう。
作:寺村輝夫
絵:長新太
出版社:福音館書店
発行日:1972年12月10日
「王さま」シリーズ誕生となった「ぞうのたまごのたまごやき」と双璧を成す、姉妹作。
挿し絵は同じく長新太さんによるもの。
「ぞうのたまごのたまごやき」では青を基調にした配色でしたが、今作は赤をベースに描かれています。
また、「ぞうのたまごのたまごやき」では冒頭に登場するのみだった王さまですが、今作では主役の面目躍如といった活躍を見せます。
王さまのデザインも、そのキャラクターに合わせて、よりとぼけたタッチになっています。
個人的には、内容・絵柄とも王さま「らしさ」がより鮮明なこちらのほうが好みですね。
毎朝のようにお城の人々の挨拶を粛々と受ける王さま。
でも返事は「あ、うん」ばかりで、退屈そう。
けれども、「ばんのおかずは、なににしましょうね」というコックさんの質問にだけは「たまごやきがいいな。めだまやきにしてくれ」とはっきり答える王さま。
やっと職務(?)から解放された王さまは、ひとりでお城の中を散歩。
ブロイラー飼育場のようなにわとり小屋の前に来て、ぎゅうぎゅう詰めのにわとりを哀れに思った王さまは、小屋のカギが差しっぱなしなのを見て、深い考えもなしに戸を開けてやります。
たちまちにわとりが大挙して飛び出し、大騒ぎになります。
兵隊たちが出動し、ピストルを撃ってにわとりたちを大人しくさせ、犯人捜しを開始。
王さまは自分に疑いが向かないよう、持っていたカギを窓から捨ててしまいます。
しかし、その様子を部屋に隠れていたにわとりに見られてしまいます。
それに気づいた王さまは、にわとりに、
「だまっていろっ」
その後、そのにわとりが産んだらしいたまごを拾った王さまは、後で食べるつもりで隠しておきます。
さて、兵隊たちの捜査は一向に進捗しません。
おまけに、にわとりたちがピストル音のショックでたまごを産まなくなってしまいます。
晩御飯に目玉焼き、という王さまのリクエストに応えられないことに責任を感じたコックさんは、自ら牢屋に入ってしまいます。
驚いた王さまは、隠しておいたたまごを取り出し、コックさんを牢屋から出してやるよう、大臣に言いつけます。
そして晩御飯。
王さまが目玉焼きにナイフを入れると……。
黄身の中から、王さまの声が流れ出します。
「ぼくが、とりごやを、あけたのを」
「だれにも、いうなよ」
「だまっていろっ」
にわとりは、王さまの秘密をたまごに閉じ込めておいたのです。
王さまは慌てて目玉焼きを吞み込みますが、そばにいたコックさんには全部聞かれてしまいます。
そこで、ふたりは顔を見合わせて……。
★ ★ ★
この作品で、「王さま」シリーズの設定はほぼ固まったと言えるでしょう。
大臣、隊長、コックさんといったおなじみの面々も登場。
王さまのキャラクターも確立されています。
浅慮、自分勝手、欲張り、その場しのぎの嘘、責任逃れ……。
大人から見れば性悪とも思えるこれら王さまの特徴は、しかしどこか憎めません。
それは王さまが子どもそのものであるからです。
寺村さんは、大人目線の都合のいい「天使のような子ども像」を排し、もっとリアルな、「ありのままの子ども」を書きます。
普段は「いい子」を演じている子どもでも、「王さま」を読めば、自分の心の底にある本性に気づきます。
だからこそ子どもは王さまを「自分自身だ」と感じ、深い共感を寄せるのです。
子どもが「自分を客観視すること」ができれば、物語が果たすべき役割の9割方は完了したと言えます。
だから、王さまは大したペナルティを受けないのです。
私はそこに、寺村さんの限りない子どもへの理解と優しさを見ます。
ちなみに、王さまの一人称はかつて「わし」でしたが(私の子どものころはそうでした)、現在刊行されているものはシリーズ通して「ぼく」に統一されています。
子どもへの共感に対する配慮からの変更でしょうけど、「わし」王さまに親しんできた身としては、むしろ王さまが少し遠くなってしまったようで寂しくもあります。
推奨年齢:4歳〜
読み聞かせ難易度:☆☆☆
ラッパ音の唯一無二度:☆☆☆☆☆
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「わし」に親しんだ者です。一緒に呼んだ息子が楽しげに「わしが」とか「黙っていろ」と真似をするのを懐かしく思いだします。この夏書店で「ぼく」になっているのを見つけ、違和感を禁じ得ませんでした。寺村さんは了解されたのかしらなどとも思いました。けれどもその後王さまについての寺村さんの言葉などを読むうち、当初の思いは薄れていきました。寺村さんの思いと、読み手が共感できることが大切なのでしょう。ただ、絵としては長新太さんは「わし」、和歌山静子さんは「ぼく」という感じがします。