私が子どもに見せたくない絵本と、その理由

 

こんにちは、絵本専門店・えほにずむの店主です。

 

毎日毎日何千冊もの絵本を読み続けているわけですが、その中には率直に申して、「これはちょっと駄作だな……」と思わざるを得ない絵本もあります。

ですが、私がそう感じたからといって、息子に見せることを止めたりはしません。

作品の良し悪しを決めるのは息子の権利であり、検閲行為をすべきではないと思っているからです(年齢に適した絵本を選ぶことはしています)。

 

それに、どんな作品であれ、読者がその中のたった一行の文、たった一枚のカットからでも、何がしかの歓びや楽しみを見出せるのであれば、その絵本には存在意義があると思っています。

 

けれど、そんな私でも、「これだけは息子には見せたくないな」と思ってしまった絵本があるのです。

それは……。

それは、「地獄」という絵本です(画像は無関係。うちには現物がないので)。

 

結構マスコミでも取り上げられて有名なので、ご存知の方も多いでしょう。

それだけに、本を売る立場からこういうことを言うのはちょっと勇気がいるのですが……。

 

もとは延命寺というお寺に秘蔵されていた絵巻物です。

人の悪口を言うと針地獄

嘘をつくと釜茹で地獄

などなど、恐ろしく残虐なグロ絵で、地獄の恐ろしさを見せつけます。

 

これが、

しつけに良い

悪いことをしなくなった

と、親から好評だそうです。

 

しかし、「悪いことをすると地獄に落ちるよ!」というのは、「しつけ」ではなく「恫喝」です。

心理的な体罰です。

「子どもに恐怖心を植え付ける」ことは、これははっきりと「有害」だと言えます。

これは一々例を引くまでもなく、心理学的にも証明されています。

 

ですが、どうしてそういう「脅しによるしつけ」を「良い」とする声が、いまだに多くみられるのでしょう。

 

「懲罰形式」で「道徳」「倫理」を教えるやり方を是とする人の意見をまとめると、

まだ理屈が通じない子どもには、『どうして悪いことをしてはいけないか』を言葉で説くより、こういうわかりやすい形で見せる方が理解しやすいし、将来的にも倫理観が身に付いて、悪いことにブレーキがかかる

といったところのようです。

 

この理論はある意味で正しいのですが、根本的に人間を低レベルで捉えた考え方です。

 

これまでにも何度か書いてきましたが、私は「内的に自由」な子どもを育てたいと思っています。

親や先生に叱られるから悪さをしない」「警察に捕まるから悪さをしない」というレベルの倫理観は、外的なものに行動規範を支配されており、不自由な精神と言えます。

それは裏を返せば「見つからなければ何をしてもいい」ということにもなりかねません。

 

ま、実際にそういう人間が多いからこそ、昔の人が「地獄」という「絶対に逃げ隠れできない審判者」を設定したのでしょう。

しかし、結局のところ、それも外的なものに支配されている点は同じです。

 

恐怖心を植え付けて言うことを聞かせようとするやり方は、短期的には効果がありますが、要するにコントロールしやすい奴隷的人間を製造しているのです。

 

この逆に、「いいことをすると極楽に行ける」という「ご褒美で釣る」教育法も、外的なもので行動を左右されるという点で、上記の奴隷的精神と何ら選ぶところはありません。

 

そんなこと言ったら、どうやって子どもをしつければいいんだ!

と怒られそうですね。

私が、

別にしつけなくてもいいんじゃないですか

と言ったら、もっと怒られるでしょう。

家ではともかく、公共の場で子どもが悪さをしたら、きちんと叱るのが親の務めでしょう!

と。

 

確かに、人に迷惑をかけるのはいけないことです。

しかし、就学以前の幼児には、ほとんど説教は利きません。

そもそも公共心がまだ芽生えていませんから、「こんなことしたら人が迷惑するよ」と言っても、「だから何?」と思ってます。

「ぼくは迷惑しないよ」てなもんです。

結局、何がしかの罰を与えて「学習」させるしか手立てがないように思われます。

 

でも、思うのですが。

だったら、極力、公共の場に連れて行かなければいいんじゃないでしょうか。

 

2歳程度の子どもを連れてデパートなどに行き、子どもが駄々をこねると怒鳴りつける親を見かけます。

どうしても連れてこなければいけない事情でもあるのでしょうか。

今は通販で何でも買えるのにと思ってしまいます(絵本もね)。

 

もちろん、家庭それぞれの事情があるとは思います。

我が家だって、私と妻は誰にも頼ることができないような状況で子育てをしているから、よくわかります。

でも、せめて3歳くらいまでは、家と公園だけでも、子どもにとってはじゅうぶんだと思うのです(公園にも対人トラブルはありますが)。

 

小さいころからしっかりしつけないと、大きくなってからでは手が付けられない

という危惧もあるでしょう。

しかし、その意見の根拠は何でしょうか。

 

「しつけ」とは、「罰やご褒美で誘導する」ことだけを指すのではありません。

子どもは、周囲の大人の行動を、恐ろしくつぶさに観察しています。

そして、模倣します。

幼い子どもへの真のしつけは、周囲の大人が正しく振る舞うことがすべてだと思います

 

汚い言葉を使わない、物を投げない、だらしのないことをしない(書いていて恥ずかしくなりますが)。

子どもはちゃんと見ています。

 

そして、悪い振る舞いはすぐに真似をしますが、良い振る舞いは内面化するまでに長い時間を要します。

はっきりしたことは言えませんが、たぶん、それが表面に現れるのが、ちょうど小学校に入学するくらいの年ではないかと思います。

 

子育てに最も必要なのは、子どもの成長を「信じて待つ」ことのできる力です。

 

しかし親の心情として、どうしても「今すぐに」言うことを聞いてくれないと不安になるものです。

私だって何度も、「このままだと将来、本当にわがままな人間になってしまうのでは……」と、自分のやり方を疑ったことがあります。

 

「子どもの成長を待つ」ためには、「人間が本来正しい魂を持った存在である」ことを信じる必要があります。

嘲笑してはいけません。

古来、様々な賢人が、様々な言葉で、子どもは生まれながらに善なる存在であることを説いています。

高次の人間、内面の聖人、魂の貴族、霊的人間、解脱、悟り……なんでもいいです。

そうした「内奥の自我」こそが、真に「自由な人間」になるための鍵なのです。

宗教的な話に聞こえるかもしれませんが、別に宗教に依らずとも、至って現代的な生活の中で、かつて宗教的だった理想の人間を育てることは可能だと思います。

それは例えば、絵本の読み聞かせによってだって、できるはずです。

 

最後に付け加えておきますが、「絵本・地獄」は、貴重な美術資料として、大人が鑑賞するには良い作品だと思います。

テキストは失敗していますが……。

 

 

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