【絵本の紹介】「アレクサンダとぜんまいねずみ」【357冊目】

 

こんにちは、絵本専門店・えほにずむの店主です。

 

ねずみ年のねずみ絵本紹介、今回は「アレクサンダとぜんまいねずみ」です。

作・絵:レオ・レオニ

訳:谷川俊太郎

出版社:好学社

発行日:1975年4月1日

 

やっぱりねずみ絵本と言えばレオニさんは外せませんね。

フレデリック」や「シオドア」「ジェラルディン」といったラブリーで個性的なねずみキャラクターをたくさん生み出しています。

 

≫絵本の紹介「シオドアとものいうきのこ」

≫絵本の紹介「フレデリック」

 

「個性的って、ねずみの見た目が全部同じじゃないか! あだち充か!」という無粋なツッコミに対しては「よく絵を見てください」と返しましょう。

全部微妙に違いますよ。

それは作者が毎回少しずつ手法を変えているからです。

 

同じ造形のコラージュでも、使用する紙や切り抜き方によって変化を表現しています。

例えばこの「アレクサンダとぜんまいねずみ」でも、本物のねずみとおもちゃのねずみでは輪郭のふわふわ感が違います。

 

さて内容の方ですが、「自分とは何か」を核にした哲学的物語……という点はいつものレオニさんですが、その展開と構成は彼の作品の中でも目を引いてドラマチックです。

アニーの家に棲むねずみのアレキサンダは、見つかるたびにほうきで追い回される嫌われ者。

ある日、彼はアニーの部屋でぜんまいじかけのねずみに出会います。

 

ウィリーというそのおもちゃねずみはアニーのお気に入り。

彼は自分では自由に動き回れませんが、大事にされていることに満足しています。

(余談ですが、私の手元にある第28刷では表記が最初は「ウィリー」、途中から「ウイリー」となっています。ここでは「ウィリー」で統一させてもらいます)。

 

二ひきは仲良くなり、アニーの目を盗んで度々一緒に会って話をします。

アレキサンダはみんなからちやほやされているウィリーを羨ましく思います。

ある日、ウィリーは不思議な話をします。

きいちごの しげみの ちかくに」生き物を他の生き物に変える力を持った「まほうの とかげ」が棲んでいるというのです。

 

自分もウィリーのようなぜんまいねずみになりたいと思っていたアレキサンダはさっそく教えられた場所へ行き、とかげを呼び出します。

はなばなと ちょうちょうの いろをした」非常に幻想的で美しいとかげが現れ、「つきが まんまるの とき」「むらさきの こいし」を持ってくるように告げます。

 

それから来る日も来る日もアレキサンダは庭に出て「むらさきの こいし」を探しますが見つかりません。

疲れ果てて帰ったアレキサンダは衝撃的な光景を目にします。

 

ウィリーが他の古くなったおもちゃと一緒に物置に捨てられていたのです。

アニーが誕生日に新しいおもちゃを買ってもらったので、古いウィリーはゴミ箱行きの運命となったのです。

心を痛めるアレキサンダは、突然「むらさきの こいし」を見つけます。

 

ちょうど満月の夜で、アレキサンダは胸をどきどきさせてあのとかげに会いに行きます。

怪しく光る緑の瞳。

とかげはアレキサンダが何になりたいのか尋ねます。

 

アレキサンダは一瞬言いかけて、そして思い直し、「ウィリーを ぼくみたいな ねずみに かえてくれる?」と言います。

目もくらむような光とともに「むらさきの こいし」は消えてしまいます。

 

大急ぎで物置へ走るアレキサンダ。

しかしウィリーの捨てられていた箱はからっぽ。

おそかった」……重い心で巣穴に帰ったアレキサンダの前に、ウィリーが現れます。

ぜんまいねずみではなく、生きた本物のねずみとして。

二ひきは喜び、抱き合い、夜明けまで踊り続けるのでした。

 

★      ★      ★

 

例によって、単一の解釈に落とし込めない深みのあるお話です。

素直に読めば、捨てられてしまう友達を助けるために、自分の権利である願い事を分け与える尊い行為の物語として読むことができます。

ただし、ここには主人公二人の内面の深層までは描かれていないために、「アレキサンダは最後までぜんまいねずみになってみたいと思っていたのか」「ウィリーは本当にぜんまいねずみとしての自分に満足していたのか、そうだとするとアレキサンダの行為は迷惑なお節介ではなかったのか」という疑問が浮上してきます。

 

同作者による「さかなはさかな」では、同じく友達に羨望の念を持つ主人公が、最終的には自己と友人の違いを認め、受け入れることによって成長を果たす物語でした。

 

≫絵本の紹介「さかなはさかな」

 

しかし今作では、友人を自分のステージに引き込むというラストになっています。

もちろんそうしなければウィリーはおそらく焼却場送りになっていたわけですから、助けるためにやむを得ずという面はあります。

それでもやはりどこかで「大きなお世話」ではないか、という思いは残ります。

ウィリーは「たすけてくれ」とは一言も言っていないからです。

 

ところで、この物語で思い出すのは古典名作「ビロードうさぎ」です。

 

≫絵本の紹介「ビロードうさぎ」

 

「ビロードうさぎ」では、ぬいぐるみのうさぎである主人公が、本物の生きたうさぎになることを夢見ます。

うさぎは捨てられてしまいますが、奇跡が起こり、最後には本物のうさぎとして生まれ変わります。

私は上記記事でこの絵本を「愛による精神の成長」物語として解釈しました(あんまりそういう読み方する人はいないかもしれませんけど)。

そこで、自身の読み筋に沿って、同様の目線で「アレクサンダとぜんまいねずみ」を解読してみます。

 

たぶんレオニさんは「現代版ビロードうさぎ」としてこの「アレクサンダとぜんまいねずみ」を描いたのだと思います。

自由と引き換えに大事にされ、ちやほやされるぜんまいねずみ。

本心か自己弁護かは不明ですが、ウィリーは自身の境遇に満足していると口にします。

そんなウィリーを、自由ではあっても生きづらさを感じるアレキサンダが羨望するという関係性は「ビロードうさぎ」と対比的です。

 

ここでの「自由」を内的なものとして読めば、現実にこういう光景を見ることは可能です。

「奴隷の幸福」という言葉があるように、望んで不自由な現状を維持しようとする人間がいます。

 

ブラック企業で滅私奉公するサラリーマン、暴力的なパートナーと別れられない人、独裁体制を支持する(最も護られていない立場にある)一般庶民。

彼らは主観的には自分の意志で行動していますが、本当の意味ではやはり自由であるとは言えないでしょう。

さほど大げさでなくとも、自己決定権を他者に委ねることでストレスから解放されるという心理は確かにあります。

 

しかしながら「個人の自由」を尊重しようとすれば、彼らに手を差し伸べる行為は彼らの「個人の自由」への侵害ということになってしまいます。

彼らは現状に満足し、そこから抜け出そうとは思っていないからです。

では結局、自由の行き着く先には永劫の孤独しかないのでしょうか。

いかにして「お節介」と「自由」を両立させることができるのでしょう。

 

そこに架けるべき橋はやはり「愛」しかないと思います。

 

「愛」とは人類にとって未解決の課題であり、慎重に取り扱うべきものですが、それでも目を逸らすことのできない一条の光なのです。

ビロードうさぎは持ち主の無償の愛によって自由になります。

アレキサンダは愛によってウィリーを自由にします。

 

この二つの作品を並べてみると、そこに美しい愛の連鎖の構築を見ることができます。

レオニさんが描こうとしたものは、そこにあるのではないでしょうか。

 

もちろん、ここに綴ったのは私の個人的解釈であり、他にもたくさんの読み方ができる絵本です。

そうした様々な読みを受け入れる懐の深さが名作の名作たるゆえんでもあります。

 

推奨年齢:4歳〜

読み聞かせ難易度:☆☆☆

とかげと壁紙の美しさ度:☆☆☆☆☆

 

■今回紹介した絵本の購入はこちらからどうぞ→「アレクサンダとぜんまいねずみ

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